朝日日本歴史人物事典 「慧昌尼」の解説
慧昌尼
江戸中期の臨済宗の尼。駿河国江尻(静岡県)の某氏の妻であったという。出家して白隠慧鶴の弟子となった。白隠に参禅していた了徹居士(山梨平八郎治重)を「少しばかり得るところがあっても足れりとしてはならぬ」と,やりこめた話が伝わっている。<参考文献>荻野独園選述『近世禅林僧宝伝』,森慶造『近世禅林言行録』
(熊本英人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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