愛発関跡(読み)あらちのせきあと

日本歴史地名大系 「愛発関跡」の解説

愛発関跡
あらちのせきあと

古代北陸道の越前国敦賀郡と近江国との国境付近に設けられていた関。東海道の伊勢国鈴鹿すずか(跡地は現三重県鈴鹿郡関町)、東山道の美濃国不破ふわ(跡地は現岐阜県不破郡関ヶ原町)とともに三関と称された。跡地は発掘調査がなされておらず確定していないが、現敦賀市山中やまなかより北方疋田ひきた辺りまでの山塊を愛発山と総称したので、その間の北陸道沿いにあったと考えられ、山中説・追分おいわけ説・疋田説、さらに敦賀平野への出入口にあたる道口みちのくち説などがある。

設置時期は不明だが、天智朝に近江大津宮を東国に対して軍事的に防衛するため設けられたとされており、規模などは「令義解」軍防令の置関条に「其三関者、謂、伊勢鈴鹿、美濃不破、越前愛発等是也、皷吹軍器、国司分当守固、謂、目以上也、言三関者、国司別当守固、其余差配兵士、配兵士之数、依別式」とあり、郡衙軍団と同等あるいはそれ以上の規模を有したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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