愛新覚羅浩(読み)あいしんかくらひろ

百科事典マイペディア 「愛新覚羅浩」の意味・わかりやすい解説

愛新覚羅浩【あいしんかくらひろ】

華族(かぞく)。東京都出身。本姓は嵯峨で,侯爵(こうしゃく)嵯峨実勝(さねとう)の長女。女子学習院卒業後,1937年に日満親善の国策のもと満州国皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)/(アイシンギョロブーイ)の弟愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)/(アイシンギョロブギェ)と結婚。敗戦で満州国が崩壊し,溥儀と溥傑はソ連軍に拘束され,浩は大陸を流浪して〈流転王妃〉と呼ばれた。1947年に日本へ引揚船で帰国したが,1957年には長女慧生(えいせい)の伊豆天城(あまぎ)山中での心中という悲劇に見舞われた。1961年に中国に戻って溥傑と再会。以後北京で暮らした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「愛新覚羅浩」の解説

愛新覚羅浩 あいしんかくら-ひろ

1914-1987 昭和時代,愛新覚羅溥傑(ふけつ)の妻。
大正3年3月16日生まれ。嵯峨実勝(さが-さねとう)の長女。昭和12年満州国皇帝溥儀(ふぎ)の弟と結婚。翌年誕生した長女慧生(えいせい)は「日満親善のシンボル」とされた。夫がソ連に抑留されたため,22年次女嫮生(こせい)と日本にもどる。32年天城(あまぎ)山心中で慧生をうしなう。35年に釈放された夫と,北京にすんだ。昭和62年6月20日死去。73歳。東京出身。女子学習院卒。著作に「流転(るてん)の王妃」。
格言など】からくにと大和の国が結ばれて永久(とわ)に幸あれ千代に八千代に(昭和53年の日中友好条約成立に際して)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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