愛宕信仰(読み)あたごしんこう

改訂新版 世界大百科事典 「愛宕信仰」の意味・わかりやすい解説

愛宕信仰 (あたごしんこう)

京都愛宕山にまつられている愛宕神社中心とする信仰火伏せの信仰が中心である。近畿地方を中心として代参講が形成され,愛宕山へ代参を送り火伏せの札と樒(しきみ)の枝とを受けてくるほか,6月あるいは7月の24日に〈愛宕火〉と称して火祭をする所もみられる。また毎月24日に〈愛宕精進〉,つまり火伏せの祈禱のために精進をする地域はさらに広範囲にみられ,関東・東北地方では愛宕社をまつるところも多い。愛宕信仰では火伏せの信仰と地蔵信仰との結びつきが顕著に認められるが,これは神仏分離以前の愛宕山の本地仏として勝軍(将軍地蔵がまつられていたことに由来する。勝軍地蔵は戦の守護神として武将などから篤く信仰されていた。同時に京都愛宕山が平安京を守護する神であったように,境の神としての塞(さえ)の神の性格も持っており,これを愛宕信仰が広く伝播した要因の一つに挙げることができる。また白雲寺を構成した愛宕山五坊とその配下山伏たちによる積極的布教活動がみられ,豊臣秀吉から〈愛宕勧進坊主〉の規制が出され,愛宕山の〈似(にせ)山伏〉の取締りなども行われた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「愛宕信仰」の意味・わかりやすい解説

愛宕信仰
あたごしんこう

愛宕神社祭神にかかわる火伏せ、防火の信仰。根本社は京都市右京区嵯峨(さが)愛宕町の愛宕山に鎮座し、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、迦倶槌神(かぐつちのかみ)、雷神(いかずちのかみ)ほか数神を祀(まつ)る。「あたご」の語源は、「背面」「日隠」の意味をもつ「あて」による(柳田国男著『地名の研究』)とも、母神の伊弉冉尊を焼死させた火神の迦倶槌神が仇子(あたご)であるから(本居宣長(もとおりのりなが)著『古事記伝』)ともいう。神仏習合に伴って修験(しゅげん)者の霊場として栄えてから、祭神は愛宕権現(ごんげん)太郎坊とよばれ、姿は天狗(てんぐ)と信じられて畏怖(いふ)された。本地仏として勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を祀り、祈ればかならず戦(いくさ)に勝つとして武将の間に信仰された。徳川家康が江戸・芝桜田山(東京都港区、愛宕山)に勧請(かんじょう)したのは有名。愛宕信仰が全国に流布し講組織が結成されて中世末から近世初期にかけて参詣(さんけい)者が多くなるのは、古くは愛宕聖(ひじり)や清滝川聖により、またのちには火伏せの護符を配る下級神職の活躍による。千日詣(もう)でと称して、旧暦6月24日(現7月31日)に参詣すれば1000日分にあたるといわれ、当日は多くの参詣者でにぎわう。

[野上尊博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「愛宕信仰」の意味・わかりやすい解説

愛宕信仰
あたごしんこう

京都市右京区嵯峨愛宕町にある愛宕山山頂にある神社を中心とした信仰。光仁天皇の勅命で和気清麻呂が愛当護 (あたご) 大権現を勧請したのに始り,愛宕大権現の名で親しまれている。火伏の神として鎮火の護符を出すので深く一般に信仰された。各地にある愛宕社の総本社。毎月 24日に縁日が開かれる。7月 31日に行われる鎮火祭に参詣すれば千日分にあたるとされる「愛宕の千日詣で」が有名。

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百科事典マイペディア 「愛宕信仰」の意味・わかりやすい解説

愛宕信仰【あたごしんこう】

京都市西部,愛宕山上の愛宕神社を中心とする信仰。平安京北西隅の王城鎮護の神としてまつられていたが,その祭神が迦具土神(かぐつちのかみ)(火の神)なので,民間では火伏(ひぶせ)の神として信仰され,各地に広く分布する。
→関連項目愛宕山(京都)

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