出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
超自然,超現実的で,聞く人に恐怖を起こさせる物語。広義には,世界各地に共通して存在し,ファンタジーや説話,伝説等とも重なり合い,語り物,演劇,芸能,小説等のさまざまなジャンルにみられるが,ここでは,中国および日本の〈怪談〉について記述する。西欧では18世紀後半のロマン派芸術の台頭とともに怪奇小説が登場し,その後も多くの作品が書かれて小説の一ジャンルを形成している。
→怪奇小説
中国においては,人間の体験でも,非日常的で,その原因が容易に説明できない異常な現象など,すべて怪と称する。これには神怪,鬼怪,精怪,妖怪の別がある。神怪は神祇としてまつられるものの示す霊異。鬼怪は人間の死霊(鬼)が出現するもので,いわゆる幽霊。精怪は動植物および石や器具などの物体が霊力を得て変化(へんげ)するもので,狐ならば狐精,蛇ならば蛇精,樹木ならば樹精という。いわゆる化物である。妖怪は以上のどれにも入らない正体不明の怪異をいう。これらのうち,鬼怪が代表的な怪談となる。怪異を語り,または記録したものを,古くは〈志怪〉と呼び,宋代では〈霊怪〉と呼んで講談の題材にもなっていた。近世では《剪灯新話》《聊斎志異》《子不語》などは,これらの怪異談を多く載せた記録または小説作品で,《剪灯新話》の《牡丹灯記》が日本の怪談《牡丹灯籠》の原話となったような例もある。
執筆者:沢田 瑞穂
日本の場合は,固有信仰と仏教の葛藤のうえに,早くから怨霊の思想が発達していたが,平安朝以降になると,それは一方では〈鬼〉の思想となって《今昔物語集》《宇治拾遺物語》《古今著聞集》の説話のある部分を占め,他方では,陰陽道にむすびつき〈物の怪(もののけ)〉の思想となって,《源氏物語》《栄華物語》などの,凄惨な生霊・死霊の描写などに現れた。それらは固有信仰の古い神々の零落した姿としての〈おばけ〉,またあの世にさ迷い苦患する霊魂としての亡霊の,二つに分極してゆく。中世ではこれを〈天狗〉の思想でまとめ,また芸能としての〈能〉は,鎮魂しきれない人間の妄執のカタリを大きな主題としていた。江戸時代に入ると,あらためて,民間の怪談を互いに語り合う流行が生じ,〈百物語〉〈お伽はなし〉〈諸国はなし〉が武家層から庶民層にまで,大いに行われた。人や動物の執念や,もののタタリが信じられており,文学史的現象としては,近世民間怪談を集めた《義残後覚》(1596)や荻田安静の《御伽物語》があり,この流行は〈百物語〉系統の出版となって長く続く。また《奇異雑談集》(1687),《怪談全書》(1698)など,話の種としての中国怪談紹介のブームの中で,浅井了意は《剪灯新話》をもとに《御伽婢子(おとぎぼうこ)》(1666)を書いて新しい文学的境地を開いたが,この系統から都賀(つが)庭鐘,上田秋成,伊丹椿園らの,知識人作者による現実批判としての幻想怪異小説が生まれた。それに対して民間怪談はしだいにグロテスクで退廃的な耽奇へ走り,因縁話的な色彩を求め,その結果,江戸時代後期になると,芸能,文芸を問わず,職業化した作者や演者による合巻,読本,歌舞伎等は,争って人間世界の邪悪な葛藤,それを原因とする殺人,加虐,そして血みどろな亡霊とその凄惨な復讐,あるいは,化猫,蛇の執着といったテーマに走るとともに,独自な妖美・淫虐な世界を作った。
執筆者:高田 衛
観客の興味の中心を亡霊・妖怪などによる怪奇性の表現においた歌舞伎狂言。能楽・初期歌舞伎の中にも幽霊の形象は舞台化されてきたが,〈浅間物(あさまもの)〉の傾城奥州の亡霊などに代表されるごとく,凄味・恐怖観念を描出することはなく,むしろ美的な精霊として受容されていた。寛政年間(1789-1801)以降,刺激的・衝撃的な戯曲を求める志向が強まるにおよんで,観客を恐怖させる目的の怪談狂言が現れた。1804年(文化1)河原崎座初演の《天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)》(4世鶴屋南北作)における乳母五百機(いおはた)の霊(初世尾上松助所演)がその嚆矢(こうし)とされる。松助はこの役で,乱れ髪や漏斗(じようご)と称する先細りの裾の鼠色の衣装などを円山応挙の絵を参考に工夫し,また引込みには仏壇へ飛びこむなどの手法で演じ,観客を驚かせた。いらい松助は夏芝居として新工夫の怪談物を続演し,さらにその子3世尾上菊五郎,3世の孫の5世菊五郎らによって継承,集大成された。上方では4世市川小団次・市川斎入(さいにゆう)(右団次)系の亡霊の芸が残された。著名な怪談物には《東海道四谷怪談》,《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(小幡小平次),《実成金菊月(みのりよしこがねのきくづき)》(皿屋敷),《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》(佐倉宗吾)などがある。怪談物の眼目の一つにはケレン(トリック)の演出があり,観客の意表をつく仕掛物や早替りの技術が発達した。また夏狂言との関連で本水(ほんみず)や宙乗りもしばしば用いられる。明治期になって世相の変転が怪談物をふるわなくさせたが,《木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)》(河竹黙阿弥作,1880年11月新富座)は従来の怪談物と趣向を変え,おさよの亡霊は岩淵九郎兵衛の神経病との解釈で,ガス光線を用いた新手法の亡霊を見せ,評判となった。また昭和に入っては宇野信夫作《巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)》(1935年9月,6世菊五郎主演)などが好評を博した。
執筆者:小池 章太郎
人情噺を得意とする落語家が,たとえば三遊亭円朝作《怪談牡丹灯籠》(《怪異談牡丹灯籠》)や《真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)》のような因果・因縁物語の途中や終りにおいて幽霊を出す噺をいう。怪談噺を口演する落語家は,高座に背景をかざって,すごい調子で噺をつづけ,いよいよ凄惨の気がクライマックスに達したところで,高座の明りを消し,細い竹の先につけた焼酎火(しようちゆうび)を,高く,低く動かして,いっそう凄味を増し,やがて,高座に青い照明を投げかけると,ドロドロの太鼓とともに,演者の肩のあたりに前座の扮した幽霊があらわれ,ざんばら髪で,両方の手を胸のあたりに七三に下げ,白装束のうすもののすそをひいて,あっちへふわり,こっちへふわり,すり足で歩き,しばらく女性や子どもをおびやかしたあげく,〈はて,おそろしき執念じゃなあ〉というせりふとともに,ぱっと高座をあかるくして,〈まず,今晩はこれぎり……〉と終演した。初代三笑亭可楽門下の初代林屋正蔵を始祖としている。彼は,〈元祖・大道具・大仕掛・妖怪(ばけもの)ばなし。林屋正蔵〉の看板を掲げて興行し,《怪譚桂河浪(かいだんかつらのかわなみ)》(1835),《怪談春雛鳥(はるのひなどり)》(1838)など,得意の怪談物の草双紙四部を残した。彼が没したとき,火葬にしてくれという遺言どおりにすると,棺桶に仕掛けてあった花火が来葬者をおびやかしたという逸話も怪談噺の元祖らしい。幕末,三遊亭円朝も怪談噺に,《真景累ヶ淵》《怪談牡丹灯籠》《鏡ヶ池操松影(みさおのまつかげ)(江島屋騒動)》《怪談乳房榎》などを自作自演して人気を博した。近代にはいっては,春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう)(?-1894),5代目林家正蔵が著名だが,最近では,7代目一竜斎貞山や林家彦六(8代目林家正蔵)が,しばしば口演して注目をあつめた。現在では,わずかに一竜斎貞水が孤塁を守っている。
執筆者:興津 要
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の短編小説集。1904年アメリカ,イギリスで刊行。著者が14年に及ぶ日本滞在の後期,妻小泉節子らに朗読させた日本の怪談を英語で再話したもの。〈耳なし芳一〉〈雪女〉〈貉(むじな)〉などはとくに有名で,邦訳,英語教科書,映画などを通して原文以上に日本人に知られている。《怪談》は民話収集の技術にたけたハーンが,文筆家としての芸術創造のはけ口をその再話行為に見いだしたもので,その種の怪奇的なるものへの関心は《骨董》その他の作品にも随所に見られる。
執筆者:平川 祐弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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