志免炭鉱(読み)しめたんこう

世界大百科事典(旧版)内の志免炭鉱の言及

【志免[町]】より

…1889年海軍の炭鉱が開発されて以来,炭鉱町として急速に発展し,1939年に町制を施行した。しかし第2次大戦後,海軍から国鉄に移管された志免炭鉱が64年に閉山となり,巨大なボタ山群,鉱害,そして多数の離職者の住む炭住街が残された。その後福岡市の東に隣接する立地条件を生かしてベッドタウンとして発展し,一時急減した人口も増加に転じた。…

【須恵[町]】より

…北東部に若杉山などの山地があるほかは丘陵が広く,須恵川が中央を西流し沖積低地を形成する。明治中期に新原(しんばる)に海軍の炭鉱が開かれてから急激に発展した町で,炭鉱のほとんどは第2次大戦後に閉山したが,戦後海軍から国鉄に移管された志免炭鉱は1964年まで存続した。炭鉱閉山で深刻な打撃を受けたが,JR香椎線が通り福岡市に近接するため,近年はベッドタウン化が進み,過疎化から一転して人口急増地帯となっている。…

※「志免炭鉱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」