忌部正通 (いんべのまさみち)
室町初期の神道家。生没年不詳。その生涯については1367年(正平22・貞治6)の自序のある《神代巻口訣(くけつ)》5巻を著したこと以外はまったくわかっていない。同書は《日本書紀》巻一,巻二の注釈書で,鎌倉時代の《釈日本紀》につぐ日本書紀古注として,また神道の教説史上重要な著述として注目されている。正通は宋学の理気説によって天地開闢(かいびやく)などを解釈し,宇宙の根本精神である〈理〉が,空虚清浄な高天原に化生して神となったと説く。その教説は,神道を根本としながらも,儒仏二道の立場を認めようとする点で伊勢神道などと異なっており,儒家神道の先駆と見られているが,他方室町時代初頭の教説としては時代的に早すぎるとして,自序の年を疑問とする見方もある。江戸時代初期に広田坦斎(忌部丹斎)が,正通の説を受けついで忌部神道を唱えて吉田神道に対抗したが,忌部神道は山鹿素行など儒学者の間に受け入れられた。
執筆者:大隅 和雄
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忌部正通
いんべのまさみち
生没年不詳。吉野時代ごろの神道家。『神代口訣(じんだいくけつ)』の著者として知られる。同書には、貞治(じょうじ)6年(1367)11月記の正通の自序があるが、近年は同書の成立を近世初頭ではないかと疑う学者が少なくない。同書は『日本書紀』神代巻の注釈であるが、その内容は、神道の神学上注意すべき見解に富み、山崎闇斎(やまざきあんさい)が大いに評価して、「辞(ことば)は嬰児(えいじ)に仮(か)り、心は神聖に求む」という同書の語をとくに好んだほか、近世諸家の神道解釈に大きな影響を与えた。正通に関する史料は『神代口訣』のほかにはまったくない。
[谷 省吾 2017年10月19日]
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忌部正通
生年:生没年不詳
室町前期の神道学者。『日本書紀神代巻口訣』の序文によると,この本は貞治6(1367)年に正通が著したとある。古写本に恵まれず,江戸前期の偽作と疑う説もあるが,室町後期に一条兼良が著した『日本書紀纂疏』に本書の文を敷衍した個所があり,断じがたい。『日本書紀神代巻口訣』は,『日本書紀』の古注,また神道の教説で重要な著述として注目され,その説は,のちに忌部神道と呼ばれ山鹿素行などに影響を与えた。
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忌部正通 いんべの-まさみち
?-? 南北朝時代の神道家。
「神代巻口訣(じんだいのまきくけつ)」の著者として知られる以外は不明。同書には貞治(じょうじ)6=正平(しょうへい)22年(1367)の正通自身の序文があるが,内容から年代を疑問とする説もある。正通の神道説は江戸時代前期に忌部坦斎にうけつがれて忌部神道とよばれ,山鹿素行などに影響をあたえた。
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忌部正通【いんべのまさみち】
南北朝時代の神道家。生没年未詳。《神代巻口訣(くけつ)》(日本書紀口訣)を著し(1367年自序),宋学理気説を受け入れた神道説を唱え,天御中主(あめのみなかぬし)神が明理の本源であると説いた。忌部神道の祖とされる。→神道
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忌部正通
いんべのまさみち
生没年不詳
室町前期の神道家
伝記不明。著書に『日本書紀口訣 (くけつ) 』があり,『日本書紀』の注釈書として重要。
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忌部正通
いんべまさみち
南北朝時代の外宮神道家。正平 22 (1367) 年,『神代口訣』を著わし,理気説により『日本書紀』神代巻を解釈した。
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