心理学史(読み)しんりがくし(英語表記)history of psychology(英),Geschichte der Psychologie(独)

最新 心理学事典 「心理学史」の解説

しんりがくし
心理学史
history of psychology(英),Geschichte der Psychologie(独)

心理学は,心に関する哲学の時代を経て,1870年代に,哲学を母とし生理学を父として独立した科学になった。したがって狭義の心理学の歴史はこの科学的心理学誕生後の歴史であるが,心の問題が哲学において論じられていた時代を含めると,その過去はギリシア哲学あるいはそれ以前にさかのぼることになる。

【心理学思想の起源】 ギリシア哲学は,宇宙・自然の本質を究める自然哲学から,ソクラテスSocratesによって人間の本質に関する人間哲学へとその重点が移行し,それはプラトンPlaton,アリストテレスAristotelesに引き継がれた。その中でギリシア心理思想としてとくに注目すべきは,世界最初の心理学書といわれる『精神論De Anima』を著わし,精神に関する体系的な考えを理論的に展開させたアリストテレスである。精神は生活体の機能であって実体ではないと考え,現象の客観的観察を重んじ,類似・反対・接近という連想(連合)associationの3法則を唱えたアリストテレスの考えの中には,今日にも生きているものが多くある。さらに,真の知識は観察可能な事実を直接調べることによってしか得られないとするその経験的態度は,方法論としての経験論empiricismの基礎となった。これは絶えず変化する外界の感覚による認識は信用できないので,事物の真相は理性によってしかとらえることができないとするプラトンの理性論rationalismと好対照をなし,その後長く対立する立場の原型となった。またプラトンは人間を身体と霊魂からなるとする心身二元論mind-body dualismを唱えた。紀元前4世紀のことである。

 ギリシア時代からローマ時代に移り,理性こそが最高の権威と考えるストア哲学の時代を経て,5世紀にローマ帝国は崩壊した。それから約1000年間,暗黒の中世が続くが,その暗闇に文明の灯をともしつづけたのはキリスト教会であった。しかし,中世においては真理の基準はキリスト教の教義・教典と教会,およびそれを支えるスコラ哲学にあったために,科学の世界には見るべき進歩はなかった。ただ中世心理思想を代表するものとしては,アウグスティヌスAugustinus,A.の宗教経験に対する深い内省的洞察,キリスト教神学を体系づけたアクイナスAquinas,T.の心理説などがよく挙げられる。そして13世紀になると,事物の客観的観察を重んずるベーコンBacon,R.やオッカムOccam,W.の主張が現われ,続いて15~16世紀のルネサンスの黎明期を経て,17世紀にはようやく中世の夜が明け,科学革命が起こり,近世を迎えることになる。人びとは教会の権威と封建的・閉鎖的身分社会の拘束から解放され,ここに自分の経験と理性に基づいて自由に真理を追究する精神が誕生することになる。

【近世哲学】 この新しい時代の最初の哲学者が1596年生まれのフランスのデカルトDescartes,R.であった。彼は心身二元論を唱え,物質に関する研究と対等に精神に関する研究を認めた点で近世心理学の祖ともいえる。彼の心身二元論は,身体と精神とを別々の実体と見るにとどまらず,その両者は脳の松果腺という「精神の座」で相互作用し影響し合うとする心身相互作用説mind-body interactionismであった。そして物質である身体は機械の原理に従うとし,反射の概念を創始し,人体の機械論的・生理学的解釈を試みた。一方,物質でない精神は自由であり,その精神を身体から切り離し,経験によって汚染されている感覚による判断を退け,神によって与えられた純粋な精神・理性による真理の発見と,その真理をもとに他の真理を演繹する方法が真理探究の道であるとする理性論の立場を取った。そしてこの理性による認識の前提として生得的観念を認め,真理は存在に合致する観念にほかならないと考えた。この理性論は,理性的秩序を重んじたヨーロッパ大陸の伝統となり,この後,オランダのスピノザSpinoza,B.,ドイツのライプニッツLeibniz,G.W.に引き継がれ,その弟子ウォルフWolff,C.(1734)によって能力心理学へと発展した。ちなみにウォルフは著書(1732)の名にPsychologiaという名を用いた最初の人物といわれる。

 これに対してベーコンBacon,F.の経験的・科学的研究法(1620)とニュートンNewton,I.の科学的理論(1687)を生んだイギリスでは,理性論と対照的な経験論の哲学がデカルトと同世代のホッブズHobbes,T.に始まり,ロックLocke,J.の『人間悟性論An essay concerning human understanding』(1690)によって確立され,その後約250年にわたって発展し,連想主義(連合主義)associationismとともにイギリス哲学の伝統となった。ロックは一切の推測を排し,客観的観察こそが実在認識の方法とする経験論を,方法論から一歩前進させ,人間は生まれた時は白紙(タブラ・ラサtabula rasa)であって,知識はすべて感覚的経験を通して外から与えられるとする認識論としての経験論を発展させた。この経験論に立てば,生まれつきの全盲の人が立方体と球体を触覚で区別することを学んだ後に,成人になって視覚を得た際に,手で触れずに目だけで立方体と球体を区別することは可能かというモリヌークスMolyneux.W.が投げかけた疑問(モリヌークス問題Molyneux question)に対して,ロックは,触覚に対応した視覚の経験をもたないのだから不可能だとする。一方,形に関する先天的観念があるとする理性論からの回答は可能とされる。そしてこの問題は20世紀になっての実験的研究が解決することになる。

 経験論は,誕生時に白紙の人間の心が複雑な心に発達するのは,感覚的経験を重ねるうちに,感覚から生ずる観念間に連合が形成されるためと考えた。この観念を要素とする機械的な連合論は,ロックの後バークレーBerkeley,G.とヒュームHume,D.によって精緻化され,ハートレーHartley,D.の『人間の観察Observations on man,his nature,his fame,his duty,and his expectations』(1749)によって心理学的な体系が与えられ,生理学的説明を伴う連合心理学association psychologyとして完成し,19世紀には哲学から独立することになる。なおハートレーは連合の法則を接近のみとしたが,これ以外に何を認めるかについては一致しているわけではない。また連合が何と何の連合であるかに関しても,連合の概念が重きをなした20世紀の学習心理学も含めてさまざまである。

 イギリスの経験論は,大陸の理性論が海を越えて18世紀後半のスコットランド学派に影響したように,海峡を越えてフランスに影響を与えた。たとえばコンディヤックCondillac,E.B.deは1746年にロックをフランスに紹介し,また『感覚論Traité des sensations』(1754)を著わし,一切の主体的なものを否定し,すべての知識は感覚のみによるとする徹底した感覚主義sensationalismを唱えた。

 一方,知識は内側から与えられるとする理性論と,外から与えられるとする経験論が主知主義的対立をする中で,人間の非理性的な面に注目した点でも経験論は貢献があった。たとえば『人性論A treatise on human nature』(1739)を著わし「人間の科学」のニュートンになろうとして幅広い人間性の理解をめざしたヒュームは,感情と情緒は理性に比べてはるかに人間の行動で大きな働きをしており,「理性は感情の奴隷である」とし,人間は快を求め不快を避けるとする快楽論hedonismを唱えた。これは理性的人間像を理想とする理性論には期待できない考えであり,後のフロイトの快楽原理の前身であり,また今日の動機論の基となった。

【19世紀の心理思想と科学的心理学の誕生】 17世紀に基礎が築かれた科学は,18世紀の啓蒙の時代を経て,19世紀になると飛躍的に発展し,現代の諸科学としての基礎形態を備え,しだいに哲学から独立する。そして心理学も遅れて,先進諸科学の発達に支えられ哲学から独立することになるが,その過程における生理学や物理学の研究には心理学の研究といってもよいものが多く含まれている。たとえばフェヒナーFechner,G.T.(1860)の精神物理学などは事実上の実験心理学である。しかし1879年にライプチヒ大学に初めて心理学実験室を設立し,心理学を一つの学問体系としてまとめ,心理学者を自任し,世界から多くの弟子を集め,その後の心理学の出発点となった点で,ドイツのブントWundt,W.の心理学史上の貢献は大である。

 そしてその独立を支えたのがイギリスの連合心理学,ドイツの感覚知覚の生理学的研究であった。イギリスの連合心理学は,ハートレー以後しばらく間をおいて19世紀のミル父子Mill,J.& J.S.,ベインBain,A.に継承され頂点に達し,哲学から独立するが,すべての知識の源あるいは入口として感覚・知覚を重視する立場,複雑な観念を感覚的印象に基づく単純観念に還元して考える要素還元論,および心の複雑化の過程を連合で説明する連合心理学は,ブント心理学誕生の一つの基盤となった。ただし,イギリスの連合心理学者が思弁的な「肘掛け椅子の心理学者arm-chair psychologist」であったのに対して,ドイツ生理学の中で訓練を受けた生理学者ブントは,心理学を実験心理学experimental psychologyとして成立させたのである。19世紀に著しい発展を遂げた当時のドイツの生理学・医学の世界は,生命現象を含む宇宙の一切のものは,物質とエネルギーの形に置き換えて理解することができるとする唯物論materialismが支配しており,その中心は,ブントも助手を務めたことのある偉大な科学者・感覚生理学者のヘルムホルツHelmholtz,H.であった。このようにしてブントは,イギリス人がその重要性を見いだした感覚の問題の研究と,感覚の入口となる感覚器官の働きについてのドイツの生理学的研究とを結びつけ,新しい実験心理学を始めたのである。しかしブントは精神的なものを物質に還元する唯物論にはくみせず,心身はそれぞれ独自の因果法則に従い,一方は生理学が,他方は心理学が研究するとの立場を取った。

 ブントは生涯にわたって膨大な著述をし,その心理学の全貌を完全に理解するのは困難といわれている。近年その心理学の見直しが行なわれているとはいうものの,今日的な意味はあまりないので,ここではブントの心理学が,意識を対象とし,それを内省し要素に分析し,要素が連合する方式を見きわめ,そしてその連合の法則を実験的に決定する学問と考えたことを述べるにとどめておく。

 ただ次に進む前に,ブントの心理学とは異なるアメリカ心理学の誕生を促した今一つの19世紀の思想,進化論evolutionismに触れなければならない。「生き物は時とともに変わる」とする考えはすでに古くからあったが,それを証拠とともに明確に主張したのはダーウィンDarwin,C.の『種の起原The origin of species』(1859)であった。人間も下等な生物からの進化の結果であること,自然界にあっては生きんがための闘いの中で,その環境に最もよく適応するものが生き残り,適応できないものが淘汰されるとする進化論の考えは,イギリスのスペンサーSpencer,H.の『心理学原理Principles of psychology(第2版)』(1870)を通してアメリカに影響を及ぼし,適応の心理学といわれる機能主義心理学の誕生を促した。

【心理学初期のさまざまな立場】 ブントの心理学は,意識内容の心理学,意識を構成する要素を探究する要素主義の心理学,その要素を再構成して精神を理解しようとする構成主義心理学structural psychology,感覚・知覚・注意などの研究が主で思考・記憶などの高等な精神機能を扱わない心理学,普遍的法則を追究し個人差を正規の対象から外す心理学,意識のみを対象としそれを内省法で研究する心理学,などの特徴をもつが,それらの特徴のいずれもが立場を異にする心理学の誕生を促し,逆説的ではあるが結果として心理学の発達を促すことになったのである。

 たとえば,ブントが『生理学的心理学綱要Grundzüge der physiologischen Psychologie』を著わした同じ1874年に『経験的立場からの心理学Psychologie vom empirischen Standpunkt』を著わし,作用心理学act psychologyを唱えたのはオーストリアブレンターノBrentano,F.であった。ブレンターノは,心理学は感覚によって与えられた意識の内容の学ではなく,見る,考える,感じるなどの心の作用を研究する学と考え,ブントのexperimental(実験的)な姿勢に対して,あるがままの心の状態の観察を重んずるempirical(経験的)な立場の心理学を主張した。そしてこれは,固定した要素を合成しても全体の性質は決まらないとする,後のゲシュタルト心理学の先駆となったオーストリア学派Austrian schoolを生むことになった。また作用心理学には,後のアメリカの機能主義心理学に通じる考えがある。

 一方,ライプチヒ大学のブントの弟子ではあったが,ビュルツブルク大学のキュルペKülpe,O.は,ブントが高等な精神機能は実験的研究の対象にならないとして,それを民族心理学にゆだねた思考過程の研究に関心をもち,20世紀の初頭にかけて活発であったビュルツブルク学派Würtzburg schoolの端緒となった。同学派は,感覚には還元できない意識態ほかいくつかの名前でよばれる非感覚的な漠然とした意識状態を見いだした。なお高等な精神機能に関しては,独りで研究を行なったエビングハウスEbbinghaus,H.の『記憶について』(1885)があり,キュルペはこれにも影響を受けた。エビングハウスは,連合の形成について初めて実験的研究を行なった人物でもある。

 またブントの個人心理学は,他者によって影響を受ける個人の心理とか,集団化した人間の心理などには興味を示さないが,19世紀末のフランスの社会学者タルドTarde,J.G.による模倣の研究(1890)や,ル・ボンLe Bon,G.による群集心理の研究(1895)は集合心理学psychologie collective(仏),collective psychology(英)とよばれ,後の社会心理学の先駆となった。またフランスには,集合とは対極にある個人差の問題を手がけ,後の知能テストの基となったビネーBinet,A.(1905)の貢献があることも忘れてはならない。

 最後に,ダーウィンの進化論は,「意識はどのような働きをするか」を問う機能主義心理学functional psychologyをアメリカに誕生させ,ジェームズJames,W.の『心理学原理Principles of psychology』(1890)はその出発点となった。これはブントの「意識はどのような要素で構成されているか」を問う静的な心理学とは異なり,いきいきとした動的な心理学であった。そしてこの機能主義心理学は,シカゴ学派の心理学者デューイDewey,J.(1896)によって明確に宣言され,エンジェルAngell,J.R.(1907)によって確立され,さらに20世紀になってワトソンWatson,J.B.の行動主義へと展開していくことになる。シカゴ大学はアメリカ機能主義心理学の一つの拠点だった。

【20世紀前半の心理学:アメリカ】 ブントの心理学は意識内容の心理学としてその弟子ティチェナーTitchener,E.B.によって構成主義心理学の名のもとにアメリカで受け継がれるが,その影響は限られ長続きしなかった。一方,意識の効用を問う機能主義心理学はアメリカに定着し,そこからは,進化論を背景にした機能主義心理学からならではの心理学の諸領域が展開されることになる。たとえばジェームズと並んでアメリカ心理学草創期の中心人物であったホールHall,G.S.は,進化論の影響を強く受け,「心のダーウィンThe Darwin of the mind」をめざして発生心理学genetic psychologyを唱え,児童心理学,青年心理学,発達心理学への道を開いた。彼は自らの発生心理学の基礎を,「個体発生は系統発生を繰り返す」という19世紀のドイツの生物学者ヘッケルHaeckel,E.H.が唱えた発生反復説recapitulation theoryにおいた。またキャッテルCattell,J.M.は,イギリスのゴールトンGalton,F.の影響を強く受けて,個人差研究とメンタルテストの開発を行ない,その後の知能・人格とその測定を含む個人差研究の基となった。進化論においては,特定の環境に対する適者,不適者など種内の個体変異を前提にするわけであるから,個人差は当然心理学の重要なテーマなのである。また,アメリカで花開いた心理学の応用領域(臨床心理学,教育心理学,産業心理学など)も,効用という進化論的価値に重きをおく実用主義pragmatismの国アメリカならではの展開である。

 なお意識は具体的には行動となって環境への適応機能を果たすが,その行動を対象とし行動主義behaviorismを唱えたのがワトソン(1913)であった。彼は意識を内省法によって主観的に観察する意識主義mentalismを否定し,環境からの物理的刺激Sと,それに対する生活体の反応R(筋・腱・腺の動き)との関係を客観的に観察・測定し,それを支配するS-R法則を見いだすことをめざした。そこで重要な役割を果たしたのがパブロフPavlov,I.P.の条件反射であった。すべての意識的概念や先天性をほぼ全面的に否定したワトソンの行動主義は極端なものであったため,その後1920年代後半になって,客観性の根拠を事実そのものに求めず,事実を表現する概念の客観性に求めた物理学者ブリッジマンBridgman,P.W.の操作主義operationismの考えを取り入れ,行動主義はより穏やかな主張となる。つまり客観的・操作的に定義された意識的な生活体O変数がS-Rの間に導入されたS-O-R図式の新行動主義neo-behaviorismが展開されることになるのである。またアメリカの行動主義者たちは,ワトソンをはじめ生得的傾向をほとんど否定したため,彼らの求める行動の法則は事実上学習の法則であり,その結果,20世紀前半のアメリカ心理学では,トールマンTolman,E.C.,ハルHull,C.L.,スキナーSkinner,B.F.などによって代表される学習心理学と学習理論が心理学全体の中で大きな位置を占めるようになる。

 なおワトソンの行動主義で対象とした行動は,反射のような分子的あるいは微視的行動molecular behaviorであり,その心理学は受動的行動に関する機械論的なものであったが,新行動主義が問題にした行動は,動機―行動―目標という連鎖を前提とする能動的行動,つまり全塊的あるいは巨視的行動molar behaviorであった。そしてこの種の行動の研究を行なって新行動主義の基礎の一つとなったのは,シカゴ大学と並ぶ機能主義心理学の拠点コロンビア大学のキャッテルの弟子,ソーンダイクThorndike,E.L.,ウッドワースWoodworth,R.S.であった。ソーンダイクは,ネコの試行錯誤学習の実験(1898)を行ない,これが新行動主義時代に中心となった道具的条件づけinstrumental conditioningの原型となった。またウッドワース(1918)は動因driveという語を心理学に一般化することになった力動心理学dynamic psychologyを提唱した。ウッドワースは1920年代の著書で,動因その他の内的変数をO(生活体organism)変数として取り込んだS-O-R図式を提案したのである。力動心理学は,狭義には動機を重視し,それを原因として行動を理解しようとするウッドワースが提唱するような心理学であるが,広義には,広く心的活動を内に働く力との関係で理解しようとする心理学を指し,フロイトFreud,S.の精神分析学,レビンLewin,K.のトポロジー心理学,さらに行動の目的性を唱えるマクドゥガルMcDougall,W.の目的論的心理学hormic psychologyなども含まれる。

 なお進化論は比較心理学や動物心理学の誕生を促し,さらに動物実験を通して人間を含めた生活体全般の普遍的行動原理を追究する新行動主義者たちの接近法を理念的に支えた。ちなみにティチェナーは,意識の内省報告ができない子ども,動物,異常者を心理学の対象から除外している。

【20世紀前半の心理学:ヨーロッパ】 20世紀になると心理学の中心はアメリカに移ったとはいえ,ヨーロッパでもブントの心理学と相いれない立場,またアメリカの行動主義とも両立しない立場が生まれた。精神分析学とゲシュタルト心理学である。オーストリアの精神医学者フロイトは,内省の及ばない無意識の非理性的衝動を重視する精神分析学psychoanalysisを主張し,心理学のみならず広く思想界に影響を与え,心理学の第1勢力の行動主義に対して第2勢力といわれるようになった。またドイツのウェルトハイマーWertheimer,M.,コフカKoffka,K.,ケーラーKöhler,W.は,1912年にブントの要素論では説明のつかない仮現運動の現象を基にゲシュタルト心理学Gestalt psychologyという全体論的心理学を唱え,知覚の領域のみでなく広い影響力をもった。たとえばケーラー(1917)はチンパンジーを用いて学習実験を行ない,学習は経験による環境の認知の仕方の変化であると非連合的に考え,これは認知論的新行動主義者トールマンに継承された。このほか,スイスのピアジェPiaget,J.の1920年代の発生的認識論genetic epistemology,1934年に短い生涯を終えたソビエトのビゴツキーVygotsky,L.S.の社会・文化・歴史的発達理論,イギリスのバートレットBartlett,F.C.の記憶に関する認知論的な研究(1932)なども重要な貢献であったが,これらは行動主義全盛の当時のアメリカでは注目されず,次に述べる1950年以後の認知主義的傾向が強まるにつれて注目されるようになった。

【1950~60年代:認知革命の時代】 一世を風靡したハルの行動理論も,1950年代になって複雑な行動を対象とするようになると,すべて操作可能なSと測定可能なRに還元しきれない現象に直面するようになる。その結果,SとRの間を媒介する仮説的なsとrを導入したS-r-s-R図式を唱える媒介理論mediation theoryが新ハル派によって唱えられるようになった。しかしそれでもしだいに無理が生じ,そこでハル派に代わって力を得た行動主義が,一切の仮説的な理論概念の導入を排し,行動と環境の関係の記述に徹するスキナーの徹底的行動主義radical behaviorismおよびオペラント条件づけ研究であった。しかしそれも,スキナーが『言語行動Verbal behavior』(1957)を出版するに及んでチョムスキーChomsky,N.(1959)の激しい批判を受けることになる。

 新行動主義の行き詰まりと並行して,1950年代には行動主義的な立場では説明困難な事実がしだいに現われるようになる。たとえば社会心理学のフェスティンガーFestinger,L.の『認知的不協和理論Cognitive dissonance theory』(1957),ブルーナーBruner,J.S.らの知覚や『思考についてA study on thinking』(1956)の研究,上記のチョムスキーの生得的言語習得装置の主張を伴うデカルト的言語学などである。このような傾向の出現とともに,上記のピアジェやビゴツキーの子どもの発達に関する構造主義的な考えや,バートレットBartlett,R.C.の非エビングハウス的な記憶研究など,ヨーロッパには戦前からありながらアメリカでは注目されることのなかった諸研究が脚光を浴びることになった。また心理学の第3勢力とよばれる人間性心理学humanistic psychologyが,ロジャーズRogers,C.R.やマズローMaslow,A.H.によって唱えられるが,これは動物実験を重んじた行動主義の機械論とも,また人間の非理性的衝動を強調する精神分析とも異なる,人間の尊厳を強く主張する立場である。なおこれらすべてに共通なのは,人間は行動主義者が考えるように外界に対して受動的存在ではなく,態度,意図,仮説などの主体的・認知的構えをもって能動的に臨む存在と考える点であろう。

 このような行動主義に批判的な空気は1950年代を通してしだいに高まったが,脱行動主義に弾みを与えたのは心理学の外の力であった。第1は,アメリカが介入して1960年から15年間も続いたべトナム戦争によって,既成のアメリカ的価値観を疑問視する空気が心理学を含めてあらゆる方面で強くなったこと,またその結果,ヨーロッパ的価値観が再評価されるようになったことである。第2に,第2次大戦中にアメリカで開発されたコンピュータは,ウィーナーWiener,N.の『サイバネティックスCybernetics』(1948)へと展開を見せ,情報のフィードバックによる機械の自動制御と人間の目的的行動とを類比的に考える動きが始まったことである。その後さまざまな経緯の中で情報理論は発展し,情報処理ということばも一般化し,1960年には,心理学の流れを行動主義から認知心理学cognitive psychologyへと変えたといわれるミラーMiller,G.A.,ギャランターGalanter,E.,プリブラムPribram,H.の共著『プランと行動の構造Plans and the structure of behavior』が出版され,さらに1967年には認知心理学独立の書ともみなしうるナイサーNeisser,U.の『認知心理学Cognitive psychology』の出版へと発展する。そしてそれらを背景にして生まれたのが情報処理的認知心理学である。

 このような,人によっては認知革命とよぶ行動主義から認知主義cognitivismへの移行は,脱アメリカ中心主義とともに,行動主義時代の主役であった動物学習心理学にも二つの変化をもたらした。第1は,古典的条件づけを環境内の刺激間の関係に関する情報提供の手段として重視したレスコーラRescorla,R.A.をはじめとする認知的連合学習理論の出現である。そして第2は,オーストリアの動物学者ローレンツLorenz,K.Z.らの動物の本能的行動を重視する比較行動学の影響で,動物の学習は各動物種の特殊性ゆえに生物的制約を受ける事実が学習心理学に一般化したことである。タブラ・ラサの考えの否定である。なお目的的行動主義といわれたトールマンの学習理論は認知心理学に吸収され,スキナーの記述的行動主義は,応用面での実績とともにその主張は続いている。

【1970年代以後・現在】 激動の1960年代を経て,行動主義の客観主義を維持しながらも高次の認知過程の研究への道を開いたのが情報処理的認知心理学であった。人間をコンピュータのような情報処理体と考え,環境から入力された情報を,心というプログラムが適切に処理・貯蔵し,その結果を目標に適った行動として出力するというこの心理学の考えはたしかに魅力的であった。しかもこれまでばらばらに扱われていた入力から出力に至る感覚,注意,知覚,記憶,学習,言語,思考,推理などの多様な認知過程を包括的に記述・説明しようとする。その結果,情報処理的アプローチを共通項として多様で興味深い数々の研究を促すことになった。ただ認知の名が示すように,心の知的側面の研究が先行し,情意面の研究が遅れていることは否めないようである。

 その後,人間をコンピュータ・モデルで考える新しい動きとして,1979年には認知科学cognitive scienceという学際的科学が初めての学会を開き,人口知能(AI)研究,言語学,哲学,神経心理学,精神生理学などを総合する試みが急速に展開した。これによって認知心理学の見いだした諸事実が,神経心理学や精神生理学によって基礎づけられる道が開かれ,学際的研究への道も展開されている。

 なお,1953年に初版が刊行されて以来,代々の後継者によって改訂され,今日なおアメリカの大学でテキストとして人気を保っているヒルガードHilgard,E.R.の『心理学入門』(Atkinson & Hilgard's Introduction to psychology,2009)は,21世紀の心理学の新領域として,認知神経科学cognitive neuroscience,進化心理学evolutionary psychology,文化心理学cultural psychology,ポジティブ心理学positive psychologyの四つの学際的領域を挙げている。

 以上のように心理科学の130年余の歴史を顧みると,意識主義の時代,行動主義の時代,そして行動主義の客観性でもって意識的なものを扱う認知主義の時代へと変遷してきた。しかし科学としての条件を満たしながら,心理学の長い過去で問題になった「心」のすべてを一つの科学として解明することが果たして可能なのかという大きな問題はまだ解決されているわけではない。しかし一方で,心理学が応用面において大きな社会的貢献をしてきた事実も忘れてはならない。たとえば近年,人間の認知と行動の仕方に大いに依存している生活習慣病が大きな社会問題であり,それに伴って健康心理学や上記のポジティブ心理学なども生まれている。行動やものの見方によって人の幸せと生死が左右されるのであれば,心理学の存在は過小評価されてはならないし,心理学もその期待に応えねばならない。 →機能主義 →ゲシュタルト心理学 →構成主義 →行動主義 →実験心理学 →心理学 →精神分析 →人間性心理学 →認知心理学 →力動心理学 →連合主義
〔今田 寛〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「心理学史」の意味・わかりやすい解説

心理学史
しんりがくし
history of psychology

心あるいは精神に関する学問としての心理学の歴史を意味する用語であるが,狭義には,心理学が科学的な学問体系として確立された 19世紀末から現代にいたるまでの,科学の一分野としての心理学の発生と変遷の過程をさす。しかし,人間の心あるいは精神の問題は,科学としての心理学の誕生以前に,遠く古代ギリシアの時代から,中世,近世を経て,さまざまに論じられ,考察されてきた。科学的心理学も,こうした問題をめぐる長い探索と論争の歴史を背景として,当時の社会的,哲学的思潮の影響のもとに成立したものである。この意味で,広義には,心あるいは精神に関する人類のあらゆる知識,関心,認識の総体の変遷をさして心理学の歴史と呼ぶことも少くない。

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