御香宮神社(読み)ごこうぐうじんじや

日本歴史地名大系 「御香宮神社」の解説

御香宮神社
ごこうぐうじんじや

[現在地名]伏見区御香宮門前町

神功皇后・仲哀天皇・応神天皇を祭神とする。旧府社。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔社名・創祀〕

縁起によれば、社名は「清和天皇貞観四年九月、社内に清泉湧き、病者服すれば忽ち癒ゆ、乃ち勅を以て社殿を修繕せられ」たことにちなむといわれる(京都府伏見町誌)。「山州名跡志」は「御かう水在鳥居東上古いにしへ所ニ清泉せいせん涌出ス。其かうば シクシテ四方ニくんス。病者ふくスレハたちまち いゆぐはん しやハ本くはい ヲ満ツ。然レバ即シテ当宮御香宮也」とし、一方、「菟芸泥赴」は、「筑前国糟屋郡におはしましける香椎の明神を勧請申ける」「香椎は神功皇后の廟也御香椎の宮をかしづきいひしを下略して御香の宮と申なるべし」と記すが、創祀もしくは勧請の時期は定かでない。「山州名跡志」は、「所延喜式御諸神社みもろのじんしや是也」とする。

〔伏見荘鎮守〕

室町時代には、伏見ふしみ荘の鎮守社として、荘民に崇敬されていた。同荘を伝領する伏見宮家の後崇光院貞成親王の日記「看聞日記」応永二四年(一四一七)六月二日条に「先日即成院盗人事令糺明、地下一庄、殿原、寺菴人供行者、土民等、悉御香宮宝前書起請文、当座其失露顕者可召捕用意也」、同書永享五年(一四三三)閏七月一九日条に「一昨夜石井神子家へ偸盗入、老入道見付、以棒令打擲蒙疵迯出云々、沙汰人為糺明、今日於御香宮地下人一庄相集、各裸ニ成テ疵検知、一人も無基疵無為也、四五百人相集」とあるように、盗人などの糺明の際には荘内住人がことごとく集い、神前において身の潔白を証明する神聖な場所であった。さらに同書永享六年一〇月四日条には「三木五郎馳参、神輿已奉下山之由有風聞、地下人怱々可参之由申、而地下輩緩々無用意之間、為召集即成院早鐘鳴、晩景御香宮集会付着到」として

<資料は省略されています>

と、山門(比叡山延暦寺)神輿入洛の風聞で室町幕府が伏見・醍醐だいごに出動命令を出した際、住人が武装して御香宮に参集したことがみえるが、このように同社は、いったん事ある時は伏見住人が集結する場でもあった。

〔猿楽・風流〕

当宮では旧暦三月(または四月)と九月の二回、例祭が行われた。神事に付随して猿楽・風流・相撲などが勤仕され、当社は不時以外にも荘民の集う場となっていた。猿楽については、「看聞日記」応永二三年三月一〇日条に「御香宮神事、猿楽如例、楽頭八田愛王大夫」とあるように、丹波矢田(八田)猿楽が楽頭職をもって勤仕していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「御香宮神社」の意味・わかりやすい解説

御香宮神社
ごこうぐうじんじゃ

京都市伏見(ふしみ)区桃山御香宮門前町に鎮座。祭神は神功(じんぐう)皇后ほか8神。清和(せいわ)天皇の代に境内に香りのよい水が涌(わ)き出、その奇瑞(きずい)にちなんで社名を賜ったといわれ、創建は862年(貞観4)と伝える。豊臣(とよとみ)秀吉は1594年(文禄3)当社を伏見城の艮(うしとら)に移し、鬼門鎮護の神として、社領300石を寄進した。現在の社殿は、1605年(慶長10)徳川家康がもとの場所に造営したもの。旧府社。表門は伏見城の大手門を移したもので、金熨斗付太刀(きんのしつきたち)(銘備前長光(びぜんながみつ))とともに国の重要文化財。例祭4月17日。10月上旬の神幸祭は伏見祭といわれて有名。

[飯尾直樹]

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