御目見(読み)オメミエ

デジタル大辞泉 「御目見」の意味・読み・例文・類語

お‐めみえ【御目見/御目見得】

[名](スル)
貴人や目上の人に会うこと。お目にかかること。「社長に―する」
新しくできたものなどが、初めて人々の前に姿を現すこと。「近く新車が―する」
歌舞伎などで、俳優が初めて、または久しぶりに観客の前で演技をすること。初舞台、ある劇場への初出演など。
江戸時代大名旗本将軍に直接お目通りすること。また、その資格。→御目見以上御目見以下
奉公人が正式に雇われる前に、試験的に短期間使われること。
「たびたび―に出ますが、兎角とかく故障がございまして」〈滑・浮世風呂・二〉
[類語](1目通り拝謁謁見見参内謁朝見会う/(2現れる出現する現出する登場する現前する顕現する生ずる現ずるのぞ出来る台頭デビュー誕生登板のし上がる躍り出る頭角を現す頭をもたげる

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改訂新版 世界大百科事典 「御目見」の意味・わかりやすい解説

御目見 (おめみえ)

主従関係を結ぶため,または儀礼上の挨拶のため,下位の者が上位の者に謁見すること。古くは,平安時代に地方の豪族が中央の権門勢家に名簿(みようぶ)を奉呈して主従関係を結ぶ慣習があり,武士の間にも行われたが,これに代わって平安末期より武家社会で見参(げんざん)すなわち主従関係を結ぶために従者になろうとする者が主君に謁見する儀式が行われた。江戸時代にはこれに代わって御目見の称呼が用いられた。御目見には主従関係を結ぶため家臣が主君に謁見する場合(大名・旗本が将軍に,藩士が大名に謁見など)のほかに,儀礼上の挨拶としての謁見(参勤交代の際大名が将軍に,天領代官赴任の際村役人が代官に謁見など)がある。また,これが転じて武士の格式を表した。幕府では将軍に謁見できるか否かで御目見以上(大名・旗本),御目見以下(御家人)の区別がある。藩では中小姓以上(侍)が,御目見以上とされていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御目見」の意味・わかりやすい解説

御目見
おめみえ

古くは見参(げんざん)といった。主人はじめ高位の人に謁すること。江戸時代には、武家ばかりか町人などの社会にもみられた。江戸幕府では、大名・旗本らが式日(しきじつ)などに将軍に謁見することをいった。なかでも彼らの子弟の初御目見は重要なものであり、封禄(ほうろく)(家督)の相続、分封(ぶんぽう)(分家)以前に済ませておくのが原則であった。御目見は、将軍との間の主従関係の確認、家督・知行(ちぎょう)の相続権の発生を意味したからである。そこでひとたび御目見を済ませた者は、直参(じきさん)の家に養子となることは許されても、大名の家中に召し出されたり、その家臣(陪臣(ばいしん))の養子となることは禁止された。また御目見は身分格式を表示するものでもあった。幕府では直参のうち、御目見以上を旗本、御目見以下を御家人(ごけにん)として区別した。なお、諸藩においても御目見の意義は、幕府におけるのと同様であった。

[北原章男]

『進士慶幹著『江戸時代の武家の生活』(1966・至文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御目見」の意味・わかりやすい解説

御目見
おめみえ

本来は下位の者が上位の者に対して対面することを意味し,鎌倉,室町時代には御対面とも見参 (げんざん,げざん,けざん) ともいった。江戸時代には武士の格式を表わす言葉となり,幕府では将軍に謁見できる武士を御目見以上と呼び,それが許されない武士を御目見以下とした。御目見以上の武士は大名大坂城代京都所司代若年寄などで,幕府直参の御目見以上を旗本と称し,以下を御家人と称した。御目見以下の武士は御鳥目,天守番,勘定吟味役,改役などであり,御目見以下である御家人が御目見以上となるには特別の資格を必要とした。諸藩においても大名に謁見できる御目見以上は上級武士をさし,以下は下級武士をさした。

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百科事典マイペディア 「御目見」の意味・わかりやすい解説

御目見【おめみえ】

主従関係を結ぶために,または儀礼上の挨拶として下位の者が上位の者に謁見すること。御目見得とも書く。中世武家社会ではこの儀式を見参(けんざん)といったが,江戸時代には御目見とよんだ。転じて武士の格式を表す用語となった。大名旗本は将軍に謁見の資格があり(御目見以上),御家人や陪臣にはなかった(御目見以下)。
→関連項目奉公衆六尺

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御目見」の解説

御目見
おめみえ

江戸時代,大名・旗本が将軍に,あるいは藩士が大名に対して,主従関係を結ぶ場合や儀礼上のあいさつなどで謁見すること。武家社会では主君への御目見は家督相続の場合などに際し重要な意味をもつ。御目見以上の旗本と御目見以下の御家人のように,主君に謁見できるかどうかは,武士の格式を示すものでもあった。武家や商家で奉公人を雇用する場合にも,一般に主人に御目見をして当人の人品を見届けたうえ,奉公契約を結ぶのが通例であった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御目見」の解説

御目見
おめみえ

上位の者に謁見・対面すること
「御目見得」とも書く。特に江戸時代には武士の格式を表し,将軍に謁見できる者を「御目見以上」といった。幕府直参 (じきさん) では,1万石未満の御目見以上を旗本といい,御目見以下を御家人と称した。

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世界大百科事典(旧版)内の御目見の言及

【大奥】より

…ただし御坊主は将軍付,御小姓は御台所付のみの職種である。身分的には上﨟(じようろう)・御年寄から呉服之間までは将軍や御台所に目通りが許される〈御目見(おめみえ)以上〉であったが,それ以下は〈御目見以下〉であった。上﨟は京都の公家の女が多いが,御年寄以下は武家の女から選ばれた。…

【家格】より

…なお官位の先途は幕末にはいちじるしく崩れる。万石以下の幕臣には御目見(おめみえ)以上と以下とがあり,御目見以上を通常旗本,以下を御家人と称した。これは将軍に謁見できるか否かの別であったが,幕府職制上では大きな意味を持っていた。…

【徒士】より

…しかし,一口に士分とはいっても徒士と侍との間には格式の上で大きなへだたりがあった。侍身分のものは御目見(おめみえ)以上の格とされて,主君に拝謁を許されたのに対し,徒士身分のものは御目見以下の格とされて,御目見を許されなかった。また足軽身分から徒士身分への昇格は比較的容易であったが,徒士身分から侍身分への昇格はきわめてまれなことであり,俸禄にしても侍は知行取の格とされ,徒士は蔵米取の格とされた。…

【日光社参】より

…将軍社参のない年は大名による代参があり,また各大名の社参やその家臣による代参もあった。大名や旗本には,日光山内にそれぞれ宿坊が定まっており,彼らはその案内で拝礼をすませたが,それは家康や家光に対する御目見(おめみえ)であり,そのときの服装には江戸城中でのそれが着用された。 幕府が庶民にも社参を許したのは,堂社の荘厳を拝見させて東照大権現の権威を印象づけることに目的があった。…

※「御目見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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