御津(読み)ミツ

デジタル大辞泉 「御津」の意味・読み・例文・類語

みつ【御津】

古代難波なにわの港。官船船着場として尊んでいう。難波の御津。
「葦が散る難波の―に大舟にまかいしじ貫き」〈・四三三一〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御津」の意味・わかりやすい解説

御津
みつ

兵庫県西部たつの市南部の旧町域。播磨灘に臨む。 1947年町制。 1951年室津村と合体。 2005年龍野市,新宮町,揖保川町と合体して,たつの市となった。休養観光の町で,東から西へ白砂青松新舞子浜,「七曲がり」と呼ばれる岩石海岸室津沈水海岸と,瀬戸内海国立公園に属する景勝地が続く。姫路市広畑に隣接し,播磨工業地域の西部を占める。室津はかつての摂播五泊の一つで,江戸時代は大名参勤交代に利用し,浜本陣があった。室津の賀茂神社は国指定重要文化財。岩見梅林,綾部山梅林などでも有名。

御津
みと

愛知県東部豊川市南西部の旧町域。渥美湾に臨む。1930年町制。1955年大塚村の一部を編入。2008年豊川市に編入。かつての三河五港の一つ御馬(おんま)は音羽川の河口にあり,国府の外港であった。西半は大部分が丘陵地で,ほかは豊橋平野が占める。豊川用水の通水によって水利の悪い町の農業を変え,野菜,果樹の栽培や施設園芸が発展。綿織物,食品工業も行なわれる。沿岸部ではノリ養殖も盛んであったが,1964年湾岸一帯は東三河工業整備特別地域に指定され,埋め立てが進んだ。一部が三河湾国定公園に属する。1889年に開通した東海道本線が,御油ほか旧宿場町を通らず蒲郡経由となったため,現在の御津領域にあった当時の西方村に郡行政中心地名の御油駅が設置された。1948年に駅名は愛知御津に改称された。

御津
みつ

岡山県南部,岡山市北部の旧町域。旭川中流域,およびその支流の宇甘川(うかいがわ)流域と吉備高原からなる。1953年金川町と宇甘西村,宇甘東村,宇垣村,葛城村,五城村の 5村,および牧山村の一部が合体して御津町が成立。1956年布都美村の一部を編入。2005年岡山市に編入。中心地区の金川は旭川と宇甘川の合流点にあり,古くから開けた河港。戦国時代は備前守護代松田氏の城下町近世岡山藩の家老日置氏の陣屋町であった。イネ,ブドウ(マスカット),モモを多く栽培する。日蓮宗不受不施派の本山,妙覚寺がある。一部は吉備清流県立自然公園に属する。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「御津」の意味・わかりやすい解説

御津(兵庫) (みつ)

御津(岡山) (みつ)

御津 (みと)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の御津の言及

【鹿島[町]】より

…島根半島の中央部に位置し,北は日本海に臨み,南は松江市に接する。日本海に注ぐ佐陀川の河口にある中心集落の恵曇(えとも)は,東部の御津(みつ)とともに漁業集落として発展し,魚市場や冷凍設備があり,県東部の漁業中心地になっている。かまぼこや缶詰の製造など水産加工業が盛んで,鮮魚行商の従事者が多い。…

※「御津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android