御師(読み)おし

精選版 日本国語大辞典 「御師」の意味・読み・例文・類語

お‐し【御師】

〘名〙 (「お」は接頭語)
① (「御祈師(おいのりし)」の意) 僧侶の祈祷者や神官で祈祷を専門にするもの。
※源氏(1001‐14頃)玉鬘「この御しは、まだふかからねばにや、西の間に遠かりけるを」
② 平安末期以降に、特定の信者と師檀関係を結んで、それらの人々のために、巻数(かんじゅ)、守札等を配付するなど祈祷をして、その代償に米銭の寄進を得た神官あるいは社僧。中世、石清水八幡宮、熊野社、賀茂社等のものは著名。遠隔地からの信者のために宿泊施設を兼業にして、先達(せんだつ)を介しながら、地方の信者を組織的に吸収して、神社信仰の普及を促した。近世では、伊勢大神宮の信仰が広く盛んであった。師。先達。
※花営三代記‐応安五年(1372)一一月二二日「同夜被八幡御師〈善法寺〉 御寄進状并御施行被仰渡事」
※夢酔独言(1843)「竜太夫と云おしの処へいって〈略〉かくのしだい故留めてくれろといふがいい」
[語誌](1)①の場合は特定少数の貴族等との関係がほぼ固定的であったが、この延長にある②はやがて対象を少数特定信者から多数特定信者(武士・農民等)に移した。
(2)中世は熊野御師が有名で、先達山伏や時宗僧侶がこれにあたった。また、伊勢の場合は「おんし」と称し、下級神官で某々大夫と名乗った。
(3)近世には行商もし、商業・金融資本家にもなった。近世末期には参詣の主体が信者の講に移り、御師の役割は宿坊において参詣と宿泊の便をはかることに限定されていく。

おん‐し【御師】

〘名〙 (「おん」は接頭語)
① 自分が教えを受けるべき人を尊んでいう語。
山家集(12C後)下「善通寺の大師の御影には、側(そば)にさしあげて、大師の御師書き具せられたりき」

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デジタル大辞泉 「御師」の意味・読み・例文・類語

お‐し【御師】

《「御祈り師」の意》
特定の社寺に属し、信者のために祈祷きとうを行い、参詣のために宿泊・案内などの世話をする下級の神職。伊勢神宮のものが有名。おんし。
祈祷を専門にする神職や僧。
「この―は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを」〈・玉鬘〉

おん‐し【御師】

自分の師を敬っていう語。師のきみ
おし(御師)1」に同じ。

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改訂新版 世界大百科事典 「御師」の意味・わかりやすい解説

御師 (おし)

特定の社寺に所属して,その社寺へ参詣者を導き,祈禱・宿泊などを取り計らう者。《源氏物語》《栄華物語》に〈おいのりの師〉,《吾妻鏡》に〈御祈禱師〉と出ているのが初期の姿で,もと寺院についていたのが,神社を主とするようになった。中世には熊野三山,石清水八幡宮,賀茂社,日吉社,松尾社などに成立しており,ことに熊野の場合は,朝廷や貴族をはじめとして熊野詣が盛行するに伴って御師の活動が顕著になっていった。すなわち参詣の当座だけでなく,御師を師とし参詣者を檀那として恒常的に師檀関係をとり結ぶことが多くなった。熊野についで伊勢神宮に御師の慣習が発達し,この方は前者と異なって各地の先達せんだつ)を介さず,自身檀家に赴いたり,または代官を檀家回りに派遣するのを常とした。伊勢御師はとくに〈おんし〉と呼ばれたというが,地方に赴く際に祈禱大麻のほかに,扇,帯,茶,白粉(おしろい)(伊勢白粉)などを檀家にもたらして喜ばれ,商人的色彩を帯びるに至った。応永(1394-1428)ころには熊野の御師は,尊勝院・実報院などをはじめとして60~70家もあったらしく,檀那は全国に分布し,はるかに隔たる陸奥地方にも多かった。伊勢御師は中世末期に外宮(げくう)だけでも145家に達し,御師にとって檀那株の所有は財産と考えられ,その株の売買がしきりに行われた。近世に入ると,熊野御師の勢力は衰えたものの,巨大な組織を基盤として商業資本化していった。伊勢の御師は繁栄の度を加え,正徳年間(1711-16)には,外宮で500家,内宮(ないくう)で240家にも達した。熊野・伊勢にならって御師制度を発達させた寺社には,出羽三山,相模大山,相模江の島,武州御嶽(みたけ),富士山,信州善光寺,尾張津島社,越中立山,加賀白山,近江多賀社,高野山英彦山などがあり,いずれも講集団の発展と提携しての繁栄が見られたが,しだいに宿泊の便宜を供するという状態に推移して近代に及んだのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御師」の意味・わかりやすい解説

御師
おし

祈祷師(おんきとうし)、御詔刀師(おんのっとし)の略称で、詔刀師や祈師(いのりし)ともいい、師檀関係にある檀那(だんな)の願意を神前に取り次ぎ、その祈願を代表する神職をさす。伊勢(いせ)地方では「おんし」と読む。当初は寺院の僧侶(そうりょ)や霊場の先達(せんだつ)の名称であったが、平安中期、その風習が熊野(くまの)三山や出羽(でわ)三山、伊勢神宮、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、日吉(ひえ)神社などにも波及し、神職の一とされた。伊勢神宮では古くから私幣禁断の厳制が敷かれてきたが、一般の崇敬が高まるにつれて、個人的な祈祷や報賽(ほうさい)の要求が生じるとともに伊勢神宮の御師の活動が盛んになった。『太神宮(だいじんぐう)諸雑事記』の長暦(ちょうりゃく)元年(1037)9月条に、太神宮司詔刀師種光の名がみえ、その起源がうかがえる。初めは神社の事務のかたわら禰宜(ねぎ)たちがこれを行うにとどまったが、室町時代以後、専門的かつ組織的な宗教活動となり大いに発展した。伊勢の御師のおもな機能は、まず檀家(だんか)・檀那とよばれる施主や願主と師檀関係を結び、諸願成就(じょうじゅ)の祈祷を行うことである。そして年ごとに祈祷の験(しるし)である祓麻(はらえのぬさ)や伊勢土産(みやげ)をもって諸国を巡歴する。土産の品目は熨斗鮑(のしあわび)はじめ伊勢暦、鰹節(かつおぶし)、伊勢白粉(おしろい)など多彩であった。また檀那の参宮には御師の自邸に宿泊せしめ、神楽殿(かぐらでん)において太々(だいだい)神楽を奏行、両宮参詣(さんけい)や志摩の遊覧などに便宜を図った。概してその活動は内宮(ないくう)側の宇治(うじ)より外宮(げくう)側の山田が隆昌(りゅうしょう)を極め、三日市大夫(みっかいちだゆう)、竜大夫(りゅうだゆう)、福島みさき大夫などは、その規模が大きく代表的なものであった。また山田の御師数では寛文(かんぶん)期(1661~73)に391軒、文政(ぶんせい)期(1818~30)に385軒を数えたという。これら御師の活動が師檀関係の強化や新たな檀家の獲得を目ざすことはもとより、全国的にみて伊勢信仰の普及や教化、あるいは伊勢講の組織に大きな役割を果たしたのである。しかし、1871年(明治4)の神宮改革に関する太政官(だじょうかん)布達により、いっさいの活動が停止されるに至った。

[中西正幸]

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百科事典マイペディア 「御師」の意味・わかりやすい解説

御師【おし】

平安末期霊験地参拝が盛んになると,その祈祷(きとう)や宿泊,守り札の配布の便をはかる中下級神職をいった。中世有力神社の信仰圏拡大は御師の活動による。特に熊野三山伊勢神宮の御師は有名で,前者は先達(せんだつ)を配下に全国の檀那(だんな)を熊野詣に案内し,後者は全国を行脚して神明講を組織,伊勢信仰を盛んにさせた。
→関連項目伊勢暦伊勢派伊勢参り神棚神明社大麻山田

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御師」の解説

御師
おし

神に対する信者の祈願の仲立ちをする職能者。伊勢神宮の御師(おんし)が最も有名だが,熊野の御師がより早く出現し,石清水・賀茂・白山・富士浅間・羽黒など,各地の大社にもいた。とりわけ伊勢神宮では天皇以外の者の祭祀を受けることが禁じられていたにもかかわらず,鎌倉時代になると,東国の武士を中心に伊勢を崇拝する風が生じ,私奉幣の禁の建前との隙間に祈祷師の活躍する余地が生じた。御師の職能は参詣者の宿泊のほか,祈祷・奉幣・神楽奉納・守札の発行など多岐にわたる。通常は地方に講を組織し,信者はこの講を通して参詣することが多かった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御師」の意味・わかりやすい解説

御師
おし

神宮,神社に属し,依頼により代祈祷を行う祈祷師。熊野,伊勢など一社の信徒を相手に祈祷や宿泊の世話をした。初めは参詣に不便な山岳神などの代理祈祷をしたが,のちに大社を対象とした。鎌倉時代になると,貴族,武士の間で自己参詣の媒介に御師を依頼するようになった。代祈祷をつとめると霊符,守り札の配布の引替えに米銭の寄進を受けた。また,遠隔地の信者に自宅を提供して宿泊をさせたことから,宿屋やみやげ物屋に発展し,門前町の発達を促す一因にもなった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御師」の解説

御師
おし

平安末期より神社の祈禱・参詣の世話をし,神社発展に貢献した下級の神官
伊勢神宮をはじめ各地の大社にいた。通常は講を作り,信者は講を通して参詣した。伊勢神宮の御師は暦の配布をし,中世以降商人化する者が多く,1755年には573人いたという。

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世界大百科事典(旧版)内の御師の言及

【度会氏】より

…《延喜式》当時まで,祭主,宮司のもと禰宜は内宮,外宮それぞれ1員であったが,しだいに増員され1304年(嘉元2)以降10員となり,また権禰宜も多く置かれた。それとともに一族は発展し,古代末期以降権禰宜層は御祈禱師,御師(おんし)として神宮と庶民とを結びつける上で大きな役割を果たした。また中世には行忠,常昌(つねよし),家行ら伊勢神道大成に貢献した学者を出して思想界に大きな影響を与え,近世にも延佳以下多くを出した。…

【伊勢国】より

…しかもそれは単に経済的伸張にとどまらず,政治的にも町の年寄が実権を掌握し町自治体を形成するに至った。その中心になったのは御師(おんし)(御師(おし))といわれる人々である。御師とは御祈禱師(おんきとうし)の略で,神宮の下級神官が参宮者の依頼をうけて祈禱を行ったことからこの呼称が生まれた。…

【伊勢参り】より

…また〈詔刀師沙汰文〉は内宮(ないくう)と外宮の間での参詣者をめぐっての争いに際してのものであり,その形態は不明だが,神宮への参詣者がかなりの数に達していたことを示している。参詣者と神宮の間にあったのが御師(おし)であった。御師は権禰宜(ごんのねぎ)と呼ばれる神宮の中下級の神官の出身で,参詣の止宿の便や私祈禱を代行するとともに,定期的に各地の信者の間をまわった。…

【神楽】より

…この流派が最も広く分布しているが,高千穂神楽では採物神楽に傾き,江戸の里神楽では神話のことごとくを黙劇に仕組むというように能に傾いている。(3)湯立神楽は神聖な湯花に触れて祝福を得ようとするもので,伊勢神宮外宮(げくう)の御師(おし)と呼ぶ外勤神職団によって広められ,伊勢流と呼ばれているが,今は伊勢になく,秋田県平鹿郡の保呂羽山波宇志別神社の霜月神楽や愛知県の花祭などに残されている。湯釜をすえて神々を勧請(かんじよう)し,数々の潔(きよ)めの舞を舞い,ときには見物人に湯花を振りかけるのである。…

【神棚】より

…【宇野 正人】 住宅内に神棚が設けられるようになってから,あまり永い歴史はないものと考えられる。全国的に一般化した時期ははっきりわからないが,17世紀後半の檀徒仏教の普及に対して,伊勢神宮の御師(おし)が神符を各戸にくばるという活動を通し,神符をまつる場所として,神棚を設ける習慣が一般化したものと考えられ,江戸時代中期ころではないかと思われる。仏壇【鈴木 充】。…

【勧進】より

…狭義には後者を指す。とくに中世の戦乱による寺社の炎上や寺社領の衰退のため,勧進聖(ひじり)や御師(おし)たちが諸国を回り,勧進帳を読みあげて,たとえ一紙半銭といえども喜捨すれば神仏の加護を得ると説き,結縁(けちえん)を勧めて資財を集め,社寺の復興に努めた。金品募集の手段として神仏の功徳を説く方法は,14世紀中葉には《師守記》の1364年(正平19∥貞治3)の条に〈薬王寺勧進猿楽〉とあるように,芸能によることもあり,近世には〈勧進相撲〉〈勧進芝居〉も広く行われるようになった。…

【熊野信仰】より

…平安時代末期には,白河,後白河,後鳥羽の3上(法)皇の参詣が大がかりに行われ,頻度もおよそ100年間に90回余というはげしさであり,これに追随するかのように,〈人まねの熊野まうで〉(《玉葉》文治4年9月15日条),〈蟻の熊野詣〉(《太閤記》《和訓栞》)の行列が続いたのである。これら膨大な道者群を応接するために,三山側に発達したのが御師(おし)制度である。道者は,三山のいずれかの坊を守る験者に願文を捧げて師匠・檀那の契約を結ぶ。…

【暦】より

…1632年(寛永9)から始まる。伊勢暦は御師(おし)という神職にまとめて売り渡され,御師は手代を使って神宮のお札とともに全国に配った。暦師は単に出版元であった。…

【民俗芸能】より

…また獅子頭(ししがしら)を御神体と仰ぎ,それを捧げて人家を訪ね,悪魔払いの祈禱舞を演じる風が,東北の山伏神楽や番楽,関東・関西の太神楽などにある。前者は昔山伏が演じたもので,獅子舞に添えて物語を仕組んだ舞曲を演じ,後者は伊勢神宮や熱田神宮の御師(おし)が演じたもので,余興に曲芸や寸劇を披露する。この太神楽系の獅子舞は全国に普及した。…

【米良氏】より

…その祖は藤原実方中将といわれ,その子,僧泰救以来の熊野別当家の一門に属し,法橋範永を氏の祖とする。熊野参詣の道者を宿泊させ祈禱,参拝の導師を務める御師(おし)の職を世襲し,多数の熊野先達を配下において全国に師檀関係を広げ,山内で最も勢力のある院家となった。4代目の法印道賢以後,熊野那智の執行(しぎよう)となる者が多く,那智山の一﨟(いちろう)といわれた。…

※「御師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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