御坂町(読み)みさかちよう

日本歴史地名大系 「御坂町」の解説

御坂町
みさかちよう

面積:五八・三七平方キロ

甲府盆地の東端、郡の東寄りに位置し、御坂山地の稜線を境に東は南都留みなみつる河口湖かわぐちこ町、北東は大月市に接し、北はかね川を越えて一宮町、西は笛吹川を挟み石和いさわ町に連なり、南東は鳥坂とりさか峠を経て芦川あしがわ村、南は川を越え八代町である。東西一六キロ、南北五・五キロの町域で、広大な金川扇状地で形成されている。国道一三七号が中央部を、その北側を御坂路(旧鎌倉街道)が縦貫し、北東部から西部にかけ中央自動車道が走っている。

旧石器時代の遺跡は調査例がないので明らかではない。縄文時代の遺跡は御坂山麓や金川および浅川あさかわ扇状地に展開する。なかでも御坂山麓の花鳥山はなとりやま丘陵にある花鳥山遺跡は、早くから発掘調査が行われた著名な遺跡で、隣接する八代町にも及び、本県有数の諸磯式期の単純集落跡と認識されている。浅川扇状地扇頂部に所在する三光さんこう遺跡では、発掘調査により中期中葉から後葉の竪穴状遺構や土壙とともに、硬玉製大珠をはじめとした多くの遺物が発見されている。桂野かつらの遺跡は金川左岸に展開する広大な遺跡で、流麗な渦巻文を全面に施した特徴的な装飾をもつ深鉢形土器はよく知られるが、中期中葉から後葉を主体とする土器が多数発見されており、そのうちの桂野平石ひらいし遺跡では中期前葉の新道式期の住居跡が発掘されている。後期・晩期では、三光遺跡で後期前葉から後葉の配石遺構や土壙、晩期の焼土跡から土偶が発見されている。弥生時代の遺跡は扇状地扇端部に集中する。二之宮にのみや遺跡から後期の住居跡が発掘されている。

古墳時代の遺跡は数多く確認されている。古墳では、帆立貝式とも目される成田の亀甲塚なりたのかめのこうづか古墳が、竪穴式石室を有する中期古墳と考えられている。後期古墳では姥塚うばづか古墳・弾誓窟だんせいくつ古墳・蝙蝠塚こうもりづか古墳などの大型の石室をもつ古墳がよく知られている。なかでも姥塚古墳は日本有数の規模を誇る大型石室を有する円墳で、県の史跡にも指定されている。発掘調査により周溝が確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報