御前沙汰衆(読み)ごぜんさたしゅう

世界大百科事典(旧版)内の御前沙汰衆の言及

【恩賞方】より

…恩賞宛行は主権者の大権であり,72年(文中1∥応安5)に〈御恩沙汰〉が将軍義満出席のもとに管領細川頼之および奉行人4人によって行われているが,恩賞方の審議が将軍臨席を原則とするものであることを示すものであろう。のちには将軍出席のもとに行われる〈御前沙汰〉に関与する奉行人すなわち御前沙汰衆を恩賞方衆と呼ぶようになった。これ以外の奉行衆を御前未参衆と呼ぶ。…

【沙汰始】より

…このうちの御前御沙汰始,室町殿御沙汰始は,いうまでもなく将軍の御前で行われる幕府の沙汰始であり,足利義満期以来毎年2月17日を式日としていた。この将軍御前の沙汰始の構成員は管領,評定衆のほかに数名の奉行人が加えられ,これに出席する資格のある者は御前沙汰衆と呼ばれた。内容は奉行人が披露する3件ほどの事案を将軍が裁決するものであるが,形骸化していた評定始(ひようじようはじめ)に比べれば,より実質的なものであったといえる。…

※「御前沙汰衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」