後藤明生(読み)ゴトウメイセイ

デジタル大辞泉 「後藤明生」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐めいせい【後藤明生】

[1932~1999]小説家朝鮮の生まれ。本名明正あきまさ。出版社勤務のかたわら作品を発表。「内向の世代」の作家一人。「首塚の上のアドバルーン」で芸術選奨受賞。他に「夢かたり」「吉野大夫」「壁の中」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤明生」の意味・わかりやすい解説

後藤明生
ごとうめいせい
(1932―1999)

小説家。本名明正(あきまさ)。朝鮮生まれ。終戦(第二次世界大戦)の冬、祖母と父を失い、翌年福岡県に引き揚げた。早稲田(わせだ)大学露文科在学中、全国学生小説コンクールに『赤と黒の記憶』(1955)が入選し『文芸』に掲載。卒業後、博報堂を経て平凡出版(現マガジンハウス)に勤め、『関係』(1962)、『人間の病気』(1967)などによって認められた。1968年(昭和43)同社を辞し、文筆活動に専念。日常生活のなかでの他者との関係や、自己の内面を描き、「内向世代」ともよばれる。作品集『何?』(1970)、現在から過去の記憶へと脱線し続ける思考をユーモアの漂う饒舌(じょうぜつ)体で描いた長編挟み撃ち』(1973)、エッセイ集『円と楕円(だえん)の世界』(1972)、紀行『ロシアの旅』(1973)、新手法による実験の集大成ともいえる長編『壁の中』(1986)などがある。また『夢かたり』(1976)で平林たい子文学賞、『吉野大夫』(1981)で谷崎潤一郎賞、1987年(昭和62)の食道癌(がん)による手術後、『首塚の上のアドバルーン』(1990)で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。89年(平成1)より近畿大学教授を務め後進の育成にあたった。

[柳沢孝子]

『『新鋭作家叢書 後藤明生集』(1972・河出書房新社)』『『壁の中』(1986・中央公論社)』『『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)』『『夢かたり』『吉野大夫』(中公文庫)』『『首塚の上のアドバルーン』(講談社文芸文庫)』『蓮実重彦著『文学批判序説――小説論=批評論』(1995・河出書房新社)』『古屋健三著『「内向の世代」論』(1998・慶応義塾大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「後藤明生」の意味・わかりやすい解説

後藤明生【ごとうめいせい】

小説家。旧朝鮮永興生れ。本名明正(あきまさ)。早稲田大学卒。卒業後,博報堂,平凡出版に勤務しながら創作を続ける。《人間の病気》(1967年)が芥川賞候補となったのを契機に創作活動に専念。ゴーゴリカフカらに影響を受け,新しい小説の方法を探りながら問題作を出しつづけている。代表作《挟み撃ち》(1973年),《首塚の上のアドバルーン》(1990年,芸術選奨・文部大臣賞受賞)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤明生」の解説

後藤明生 ごとう-めいせい

1932-1999 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和7年4月4日朝鮮咸鏡南道生まれ。平凡出版(現マガジンハウス)勤務をへて文筆生活にはいる。自己の内面を追求する「内向の世代」の作家のひとりといわれる。昭和52年「夢かたり」で平林たい子文学賞。現代小説の方法的模索を執拗につづけ,56年「吉野大夫」で谷崎潤一郎賞,平成2年「首塚の上のアドバルーン」で芸術選奨。平成元年近畿大教授。平成11年8月2日死去。67歳。早大卒。本名は明正(あきまさ)。

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