後藤宙外(読み)ごとうちゅうがい

精選版 日本国語大辞典 「後藤宙外」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ちゅうがい【後藤宙外】

小説家評論家本名、寅之助。秋田県出身。東京専門学校文科卒。「早稲田文学」の記者となり、「ありのすさび」「闇のうつつ」、社会小説「腐肉団」を発表。のち「新小説」を編集、主宰し、反自然主義立場にたつ。慶応二~昭和一三年(一八六六‐一九三八

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デジタル大辞泉 「後藤宙外」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ちゅうがい〔‐チウグワイ〕【後藤宙外】

[1867~1938]小説家・評論家。秋田の生まれ。本名、寅之助。「新小説」を編集し、反自然主義の立場に立つ。小説「ありのすさび」「闇のうつつ」、回想録明治文壇回顧録」など。

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百科事典マイペディア 「後藤宙外」の意味・わかりやすい解説

後藤宙外【ごとうちゅうがい】

小説家,評論家。本名寅之助。羽後の人。東京専門学校(早稲田大学)卒。《早稲田文学》《新小説》等を編集するとともに《ありのすさび》その他の小説や評論を書いた。自然主義隆盛の時代には反自然主義の立場に立ち,評論集《非自然主義》《明治文壇回顧録》等の著がある。また明治期のさまざまな職種の人々へのインタビュー集《唾玉集》(共編著)は読み物としても資料としても貴重。
→関連項目小杉天外社会小説新小説

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤宙外」の意味・わかりやすい解説

後藤宙外
ごとうちゅうがい
(1866―1938)

小説家、評論家。本名寅之助(とらのすけ)。秋田県生まれ。東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)卒業。『ありのすさび』(1895)で文壇に認められ、初め深刻小説、社会小説の傾向の作品を書いたが、しだいに硯友社(けんゆうしゃ)風の作風に転じていった。その後、自然主義が勢力を得てくるとこれに反対し、反自然主義の評論を書く一方、文芸革新会を結んで批判したりした。その間1899年(明治32)には春陽堂に入り、『新小説』の編集主任となり、公平な精神で、夏目漱石(そうせき)の『草枕(くさまくら)』、田山花袋(かたい)の『蒲団(ふとん)』など、人々の注目を集め、時代に影響を与えた作品を掲載し文壇に大きく貢献した。晩年は故郷に帰り考古学の研究に熱中した。著書に作品集『裾野(すその)』(1909)、評論集『非自然主義』(1908)、回想録『明治文壇回顧録』(1936)などがある。

[畑 実]

『『明治文学全集65 後藤宙外他集』(1968・筑摩書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤宙外」の意味・わかりやすい解説

後藤宙外
ごとうちゅうがい

[生]慶応2(1866).12.23. 羽後,払田
[没]1938.6.12. 福島,北会津
小説家,評論家。本名,寅之助。 1894年東京専門学校卒業。坪内逍遙の門から出て,劇作から小説に転じた。 1900年から『新小説』を編集して尾崎紅葉ら硯友社系作家の全盛に寄与する一方,政治小説の提唱でも知られ,明治 40年代には『随感録』 (1907) ,『非自然主義』 (08) などで自然主義文学の勃興に反対の論陣を張った。 19年秋田県六郷町町長。代表作『ありのすさび』 (1895) ,『闇のうつゝ』 (96) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤宙外」の解説

後藤宙外 ごとう-ちゅうがい

1867*-1938 明治-大正時代の小説家,評論家。
慶応2年12月23日生まれ。明治28年小説「ありのすさび」で注目される。33年春陽堂の「新小説」編集主任となり,小説や反自然主義の評論を発表した。昭和13年6月12日死去。73歳。出羽(でわ)仙北郡(秋田県)出身。東京専門学校(現早大)卒。本名は寅之助。小説に「腐肉団」,回想録に「明治文壇回顧録」。

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