後世派(読み)ごせいは

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後世派」の意味・わかりやすい解説

後世派
ごせいは

漢方流派の一つ。 17世紀に興った古方派と区別するために与えられた名称で,中国の金・元時代の医学を宗とする人々である。田代三喜を学祖とする。田代は 12年に及ぶ明国留学より帰朝したのち,当時中国で支配的であった李朱医学を日本に伝えた。後世派最大の人物は曲直瀬道三 (1507~94) で,初め田代のもとで学び,のちに李朱医学にみずからの経験,創意を加えて後世派医学を確立した。この派に属する者に曲直瀬玄朔,岡本玄冶長沢道寿,香月牛山,岡本一抱らがある。後世派では陰陽五行,五運六気などの理論を重視したことから,ときに思弁遊戯に走る傾向があり,これに対する批判として漢の張仲景を奉じる実証主義的な古方派が生れた。

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世界大百科事典(旧版)内の後世派の言及

【漢方薬】より

…戦国時代の国情は金元医学の成立した中国の状態と共通点が多く,移入された医学は日本によく適応し,同化されて日本独自の発達を遂げた。室町中期,明から帰朝した田代三喜(たしろさんき)と,その弟子曲直瀬道三(まなせどうさん)によって当時の中国医学が広められ,後に,後世派と呼ばれる一派が成立した。江戸時代になると儒教・国学が盛んとなり復古思潮が普及し,医学もこの影響を受けて名古屋玄医などが経験を重んずる中国医学の原点の《傷寒論》にもどることを主張した。…

【古医方】より

…古方(派・家)ともいう。これに対し金元医学にもとづく流派を後世派(家)という。後世派が宋代儒学の理気・性理説と思想的基盤を共通にする医学理論に支配されて,しだいに難解・抽象的理論が先行し,思弁にはしり,観念的となって臨床上の現実から遊離し,論と術がかみ合わなくなったので,それをしりぞけ,現実に即した新しい医学の建設を目指して生まれたのが古医方である。…

※「後世派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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