精選版 日本国語大辞典 「後一条天皇」の意味・読み・例文・類語
ごいちじょう‐てんのう ゴイチデウテンワウ【後一条天皇】
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(朧谷寿)
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第68代天皇(在位1016~36)。一条天皇第2皇子。母は藤原道長の女(むすめ)彰子(しょうし)。諱(いみな)は敦成(あつひら)。一条天皇が位を三条天皇に譲るとき、皇太子に第1皇子敦康(あつやす)親王を擬そうとしたが、道長をはばかり、その外孫敦成親王を皇太子にたてた。この敦成親王が1016年(長和5)9歳で即位。道長が短期間摂政(せっしょう)となったのち、その男頼通(よりみち)が摂関となり執政した。この朝において太皇太后(一条天皇中宮彰子)、皇太后(三条天皇中宮妍子(けんし))、皇后(後一条天皇中宮威子(いし))の三后がともに道長の女で、その栄華を極めた。道長が「この世をば我世とぞ思ふ望月のかけたる事もなしと思へば」と詠んだのは、威子立后の日であった。
[森田 悌]
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1008.9.11~36.4.17
在位1016.1.29~36.4.17
一条天皇の第2皇子。名は敦成(あつひら)。母は藤原道長の女上東門院彰子。1011年(寛弘8)三条天皇の皇太子に立ち,16年(長和5)践祚する。このとき立太子した敦明(あつあきら)親王(三条天皇の皇子)は翌17年(寛仁元)に皇太子を辞退し,かわって後一条天皇の同母弟の敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇)が立太子した。同年,摂政は道長から頼通に継承された。男子はなく,中宮藤原威子(道長の女)所生の女子2人(章子・馨子(けいし))がある。
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《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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