日本大百科全書(ニッポニカ) 「律(仏教)」の意味・わかりやすい解説
律(仏教)
りつ
仏教の戒律およびそれを示す書物。サンスクリット語のビナヤvinaya(毘奈耶(びなや)、毘尼(びに)と音写)の訳。調伏(ちょうぶく)ともいう。仏教の出家修行者は男女それぞれ集団生活をしていたが、この集団をサンガsagha(僧伽(そうぎゃ)、僧)といい、律はサンガの規則であり、2種に分かれる。サンガの運営の規則と、修行僧個人の守るべき規則とである。前者を羯磨(こんま)(議決方法の意)とよび、入団許可の規則(具足戒羯磨)、半月1回の集会の規則(布薩(ふさつ)羯磨)など、ほぼ100種(百一羯磨)がある。第二の修行僧の守る規則は、男性(比丘(びく))にほぼ250条(二百五十戒)、女性(比丘尼(びくに))に350条ほど(『四分律』では348であるが、数は不定。俗に比丘尼の五百戒という)ある。この条文を集めたものを『波羅提木叉(はらだいもくしゃ)』といい、『戒経』と訳し、インドの仏教教団でもっとも重要視されたものである。二百五十戒は8節に分かれ、軽重の罪が決められている。もっとも重罪を波羅夷(はらい)といい、貞潔の破棄・盗み・殺人・大妄語(だいもうご)の4条で、これを破るとサンガから追放される。比丘尼の条文では波羅夷は8条ある。
律は釈迦(しゃか)の制定した規則が母胎となり、それに解釈が付加され整備されて、仏滅100年ごろまでに聖典の形にまとめられ、さらに紀元前1世紀に書写され、書物になった。これを律蔵という。セイロン(スリランカ)に伝わった『パーリ律』(ビナヤピタカVinaya-Piaka)、紀元後5世紀に中国に伝わった『十誦(じゅうじゅう)律』『四分(しぶん)律』『五分律』『摩訶僧祇(まかそうぎ)律』、さらに7世紀に義浄(ぎじょう)によって伝えられた『根本説一切有部(せついっさいうぶ)律』(チベット訳もある)がある。これらはそれぞれの部派仏教で伝持された律蔵であるので、細部には違いがあるが、大綱は合致しており、スリランカ、ミャンマー(ビルマ)、タイなどでは、現在もこの律蔵で教団の秩序を維持している。
律は強制的な規則であるが、修行僧はこれを自発的に守るので、これを戒といい、律と合して戒律ともいう。在家信者はサンガをつくらないから律はなく、五戒などの戒だけがある。大乗仏教徒も最初は在家教団であったが、のちに出家教団もでき、部派仏教の律蔵を採用して教団の規則とした。中国仏教や日本の律宗は『四分律』を所依として一宗をたてている。
[平川 彰]