待賢門院陵(読み)たいけんもんいんりよう

日本歴史地名大系 「待賢門院陵」の解説

待賢門院陵
たいけんもんいんりよう

[現在地名]右京区花園扇野町

五位ごい山の北東麓にある鳥羽天皇中宮花園西陵。待賢門院璋子は権大納言藤原公実の女、白河法皇の養女として育てられ永久五年(一一一七)入内、のち崇徳・後白河天皇を産んだ。天安てんあん寺を法金剛ほうこんごう院として再興させた後、康治元年(一一四二)落飾、久安元年(一一四五)三五歳で三条高倉さんじようたかくら邸に没した(百錬抄)

その後、墓の正確な場所は不明となっていたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android