影佐 禎昭(読み)カゲサ サダアキ

20世紀日本人名事典 「影佐 禎昭」の解説

影佐 禎昭
カゲサ サダアキ

昭和期の陸軍中将 汪兆銘政権軍事顧問。



生年
明治26(1893)年3月7日

没年
昭和23(1948)年9月10日

出生地
広島県

学歴〔年〕
陸士卒,陸大卒

経歴
大正11年参謀本部員。14年から昭和3年まで東京帝大政治科に派遣された。その後、中国駐在員、支那課員、支那駐屯軍司令部付、支那班長、上海駐在武官などを歴任。12年参謀本部謀略課長、13年に軍務課長となり、汪兆銘政権樹立へ「梅機関」の代表として裏工作を担当。14年支那派遣軍総司令部付となり、翌15年、汪の新国民政権樹立後は軍事顧問となった。17年第7砲兵司令官、中将。18年第38師団長、ラバウル敗戦を迎え、帰国後、陸軍病院に入院、中国から戦犯として身柄引き渡しを要求されたが、23年病死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「影佐 禎昭」の解説

影佐 禎昭 (かげさ さだあき)

生年月日:1893年3月7日
昭和時代の陸軍軍人。第三八団長
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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