彩陶
さいとう
中国における彩文土器の呼称。新石器時代の仰韶(ぎょうしょう)文化期を特徴づける遺物とされる。その形態と年代とに多様な地域色を含みながら、黄河中流地方の仰韶文化を中心として、西は甘粛(かんしゅく)・青海(甘粛仰韶文化)から東は揚子江(ようすこう)下流地方(青蓮崗(せいれんこう)文化)に分布し、さらにこれに類する土器は中国東北地区や東南海岸地区でも出土する。彩陶は一般に、精良な粘土を用いて巻き上げ法でつくられ、ろくろは使用されていない。表面は滑らかにへら磨きされる。器形は、黄河中流地方では鉢、碗(わん)の類、甘粛仰韶文化では壺(つぼ)の類が多い。酸化炎で焼かれるため器胎は紅色系を呈する。彩文は普通、焼成前に描かれるが、それに先だち、地肌に赤、白、淡黄色などのスリップ(化粧土)をかける場合が多い。彩色は、鉱物質の顔料を用いた赤または黒の単色が一般的であるが、東方の青蓮崗文化や仰韶文化晩期の彩陶では多色の例もみられる。彩色された図柄は、当時の人々の心象世界を映す精神的な所産でもあるが、仰韶文化早期の半坡(はんぱ)類型のそれは、人面、魚などの特定の動物文と、三角形文、網文などの幾何学文が特徴的であり、やや時期の下がる廟底溝(びょうていこう)類型では、動物文に鳥と蛙(かえる)があり、幾何学文は曲線的に流れるような構成をもつといった、類型ないし地域による図柄の変化がみられる。また現在、世界各地の博物館に所蔵されている彩陶には甘粛仰韶文化のものが多く、それらは流麗な渦文(かもん)に特色をみせる。彩陶の起源については、近年の考古学的成果により、従来一般に主張されてきた西アジア起源説に再考の余地が生じており、かわって中国自生説が有力となっている。
[西江清高]
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彩陶
さいとう
薄手の素焼きの地に赤・白・黒などで模様を描いた彩色土器。彩文土器ともいう
中国の新石器時代末期から青銅器時代初期に作られた。1921年スウェーデンの考古学者アンダーソンにより仰韶 (ぎようしよう) で発見された。甘粛 (かんくゆく) ・山西・河南・満州南部に分布している。オリエント起源説が主張されてきたが,近年の考古学的成果により中国自生説が有力となっている。
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さい‐とう ‥タウ【彩陶】
〘名〙 器面を紅か黒、あるいは
紫で彩色し、水平文、渦文、幾何学文、
禽獣などの文様をもつ土器。新石器時代から金属器時代にかけて多く、世界的に広く分布し、特に地中海や黒海の沿岸、
イラン、中国北部に多く、日本にも彌生文化期に
類例がみられる。
狭義には、中国新石器時代の仰韶
(ぎょうしょう)文化の土器をいう。彩文土器。彩色土器。
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彩陶
さいとう
Cai-tao
広義には彩色の文様をもつ土器を総称するが,狭義には中国の新石器時代の土器をさす。分布の中心は甘粛から河南にかけての黄河流域で,いわゆる仰韶文化の標式土器である。彩陶は長城地帯の熱河付近まで分布するが,遼東半島の彩色土器が中原の彩陶と関係があるかどうかは不明である。
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デジタル大辞泉
「彩陶」の意味・読み・例文・類語
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さいとう【彩陶 cǎi táo】
中国考古学で土器を区分する用語。土器に彩色文様をほどこしたものをいい,新石器時代以降,各時代にわたって存在する。南中国の河姆渡(かぼと)文化(河姆渡遺跡)の彩陶が今のところもっとも古い。それは夾炭黒陶に細かい灰白色土を下塗し,さらに研磨をくわえコーヒー色ないしは黒褐色の顔料を用いて植物文様を描いたものであった。焼成後に彩色するものは,各地の新石器文化の土器に存在する。 焼成前に主として酸化鉄の顔料で着色し,黒ないしは赤色に発色させた彩陶は,黄河中流域の仰韶文化で成立し発展をとげる。
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普及版 字通
「彩陶」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典内の彩陶の言及
【彩文土器】より
…彩色によって装飾的要素を加えた土器のことで,中国では彩陶とよぶ。釉薬によるものは含まれないが,釉薬によらないギリシア陶器や漢代の土器なども一般には含めない,かなりあいまいな概念である。…
※「彩陶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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