当麻郷(読み)たぎまごう

日本歴史地名大系 「当麻郷」の解説

当麻郷
たぎまごう

和名抄」には「当鹿」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」には「当麻郷」として「按ズルニ、今ノ鹿島郡当間村ナリ」とあり、現鹿島郡鉾田ほこた当間とうま比定する。当麻郷は「常陸国風土記」行方郡の項に「郡より東北のかた十五里に当麻の郷あり。古老のいへらく、倭武の天皇、巡り行でまして、此の郷を過ぎたまふに、佐伯、名は鳥日子といふものあり。

当麻郷
とうまごう

「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「多岐万」と訓を付す。「城南町史」は中世阿蘇家文書・早楠文書に「田馬」「田うま」「たうま」がみえ、現在も下益城しもましき豊野とよの糸石いといし田馬とうまがあるところから、中世の中山なかやま郷・豊田とよだ庄・甲佐こうさ郷の一部にまたがる現豊野村および同郡中央ちゆうおう町の平野部に比定している。

当麻郷
たいまごう

「和名抄」高山寺本に「多以万」、刊本に「多以末」と訓ずる。「大和志」は「方廃村存」として現北葛城郡當麻たいま町大字当麻に比定。「扶桑略記」神亀四年(七二七)三月三〇日条の長谷寺の記事に「為憲記云」として「大和国城下郡(ママ)当麻郷」、「今昔物語集」巻一一「徳道聖人、始建長谷寺語第卅一」に「大和国、葛木下郡当麻郷」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android