張浚(読み)ちょうしゅん(英語表記)Zhāng Jùn

改訂新版 世界大百科事典 「張浚」の意味・わかりやすい解説

張浚 (ちょうしゅん)
Zhāng Jùn
生没年:1097-1164

中国,南宋初期の政治家。字は徳遠。棉竹(四川省)の人。唐の宰相張九齢の子孫。1129年(建炎3)春,禁衛軍の反乱を鎮圧して高宗の信頼を得た。同年秋,四川・陝西防衛の最高責任者となり,四川への金軍侵入阻止に成功した。対金強硬論者であったため,秦檜しんかい)専制期は全く不遇であった。秦檜の死,孝宗即位によって宰相となり,中原奪回作戦を計画したが,63年(隆興1)の符離(安徽省)の敗戦で挫折した。著に《紫巌(しがん)易伝》が残る。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張浚」の意味・わかりやすい解説

張浚
ちょうしゅん
Zhang Jun; Chang Chün

[生]紹聖4(1097)
[没]隆興2(1164).8.28.
中国,南宋初めの政治家。綿竹 (四川省綿竹県) の人。字は徳遠。建炎3 (1129) 年 33歳で知枢密院事に任じられた。その後,川陝宣撫処置使,都督諸路軍馬,都督江淮東西路軍馬として軍と戦い,あるいは叛賊を平らげた。金に対して中原回復の主戦論者であったが,戦いに敗れて効果をあげることはできなかった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android