張作霖爆殺事件(読み)ちょうさくりんばくさつじけん

精選版 日本国語大辞典 「張作霖爆殺事件」の意味・読み・例文・類語

ちょうさくりん‐ばくさつじけん チャウサクリン‥【張作霖爆殺事件】

昭和三年(一九二八張作霖が、列車爆破により殺害された事件関東軍参謀河本大作が指揮し、国民軍仕業に見せかけて満州占領のきっかけにしようとした。

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デジタル大辞泉 「張作霖爆殺事件」の意味・読み・例文・類語

ちょうさくりんばくさつ‐じけん〔チヤウサクリンバクサツ‐〕【張作霖爆殺事件】

1928年、張作霖国民党軍の北伐に敗れて満州(中国東北部)にもどる途中関東軍参謀河本大作らの工作によって奉天(現在の瀋陽)駅近くで列車を爆破され、死亡した事件。当時、日本国内では真相が隠されていたが、この事件で田中義一内閣は総辞職となった。満州某重大事件

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改訂新版 世界大百科事典 「張作霖爆殺事件」の意味・わかりやすい解説

張作霖爆殺事件 (ちょうさくりんばくさつじけん)

中華民国陸海軍大元帥張作霖が関東軍高級参謀河本(こうもと)大作大佐の謀略により爆殺された事件。1928年5月国民革命軍の北伐北京に迫り,奉天軍の敗色が濃厚となると,関東軍ではこの際武力を行使して張を下野させ,新政権を樹立し,中国の東北(東三省,満州)を中国から独立させようと図り,錦州方面へ出動する態勢をとった。しかし田中義一首相はなお張を利用する方針をとり,張にたいし戦わずに満州に引き揚げるよう勧告する一方,関東軍の武力行使に承認をあたえなかった。張は国民革命軍との抗戦を断念し,6月3日京奉線の特別列車で北京を退去,奉天に向かった。関東軍の河本は満州制圧の好機が去ることに焦慮し,張を謀殺して武力発動のきっかけを作ろうと画策した。河本の指示で,独立守備隊の東宮鉄男大尉が指揮をとり,瀋陽駅のすこし手前で京奉線と交差する満鉄線の陸橋付近に工兵隊の手で爆薬をしかけ,6月4日午前5時23分そこへさしかかった張の特別列車を爆破した。東宮は雇い入れてあった中国人苦力(クーリー)2名を殺し,国民革命軍の密書をもたせ,彼らの犯行であるように装った。張は重傷を負って間もなく死亡,同乗の呉俊陞(黒竜江省督軍)も爆死した。河本は爆破の混乱に乗じて武力衝突をひきおこすつもりであったが,斎藤恒関東軍参謀長らは河本の計画を知らなかったため関東軍を出動させず,奉天軍側も挑発にのらなかったので,河本の計画は不発に終わった。しかも父作霖のあとをついだ張学良は,北伐を完了した蔣介石と和解し,同年末の東三省の易幟により国民政府に合流した。日本国内では事件の真相は秘密とされたが,翌29年1月,第56議会で野党の民政党が政府を追及し,〈満州某重大事件〉として問題になった。田中首相ははじめ元老西園寺公望らの要求で真相を公表するつもりであったが,陸軍の強い反対で関係者の行政処分にとどめ,天皇から食言を叱責(しつせき)され,29年7月内閣総辞職した。

 事件の責任がうやむやにされたことは,関東軍幕僚に満州事変の謀略を促す一因となった。
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百科事典マイペディア 「張作霖爆殺事件」の意味・わかりやすい解説

張作霖爆殺事件【ちょうさくりんばくさつじけん】

1928年6月4日北京から奉天へ帰途の張作霖が関東軍参謀河本大作らの手で爆殺された事件。当時田中義一内閣は張政権をたてて満州(中国東北)を中国から分離し日本の傀儡(かいらい)とするために,満州への引揚げを張に要求。一方,関東軍は張を見限り,満州の直接占領を構想したが中央の抑制を受け,張の爆殺だけを実行,河本らは国民党便衣隊の陰謀に偽装した。内閣は陸軍の調査で真相を知ったが公表せず,天皇にとがめられて総辞職。
→関連項目河本大作田中義一北洋軍閥

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「張作霖爆殺事件」の意味・わかりやすい解説

張作霖爆殺事件
ちょうさくりんばくさつじけん

中華民国陸海軍大元帥張作霖が、関東軍高級参謀河本大作(こうもとだいさく)大佐の謀略により爆殺された事件。1928年(昭和3)国民革命軍の北伐が北京(ペキン)に迫ったため、張は6月3日京奉(けいほう)線の特別列車で北京を退去し、奉天(ほうてん)(現瀋陽(しんよう))に向かった。関東軍は、この機会に張を下野させ、満州(東三省)を中国から独立させようと謀り、錦州(きんしゅう)方面に出動する態勢をとったが、田中義一(ぎいち)首相は武力行使を承認しなかった。このため河本は出動の口実を得ようと、4日早朝、奉天近郊で張の列車を爆破した。張は爆死したが、関東軍は事前の打合せが不十分で出動しなかった。真相は日本国民に秘匿されたが、満州某重大事件として疑惑をよび、田中内閣の倒壊を招いた。

[江口圭一]

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旺文社日本史事典 三訂版 「張作霖爆殺事件」の解説

張作霖爆殺事件
ちょうさくりんばくさつじけん

1928(昭和3)年6月,中国奉天軍閥の張作霖が国民党北伐軍に追われて奉天に引き揚げる途中,列車爆破で殺された事件
張作霖爆死事件ともいう。関東軍の参謀河本大作大佐らは張をあやつって満州独立を企てたが,張が従わなくなったとみて敢行。真相は隠されていたが,翌1929年立憲民政党が満州某重大事件として責任を追及し,天皇・元老も政府の処置に不満を表明したので,田中義一内閣は崩壊した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「張作霖爆殺事件」の解説

張作霖爆殺事件
ちょうさくりんばくさつじけん

1928年6月,日本の関東軍将兵が,蔣介石の北伐軍に敗れて奉天に引き揚げる張作霖を,列車もろとも爆殺した事件。奉天事件ともいう
関東軍高級参謀河本大作大佐が満州(東三省)の独立をはかって,京奉線と満鉄が交差する地点で張作霖を列車ごと爆殺。真相は当時秘匿されたが,満州某重大事件といわれ,田中義一内閣の倒壊を招いた。

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