朝日日本歴史人物事典 「式守伊之助(初代)」の解説
式守伊之助(初代)
生年:元文5(1740)
江戸中期の行司。伊豆国(静岡県)出身。本名は小倉某。初代伊勢ノ海の門弟で初め力士だったが,体が小さく出世できなかったため行司に転向,明和4(1767)年伊之助として番付に載り,木村庄之助の次席行司を務めた。寛政5(1793)年引退して式守蝸牛と名乗り,寛政の上覧相撲を記録した「相撲隠雲解」をまとめている。文化10(1813)年2代が襲名し,1993年まで27代を数える。伊之助は本来木村庄之助に次ぐ立行司とされて木村,式守両家には作法の違いがあるが,10代伊之助が14代庄之助に昇格したのをはじめ,歴代伊之助で庄之助を襲名した者も多い。<参考文献>大村孝吉『式守伊之助代々』
(水野尚文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報