廻船式目(読み)かいせんしきもく

精選版 日本国語大辞典 「廻船式目」の意味・読み・例文・類語

かいせんしきもく クヮイセン‥【廻船式目】

日本最古の海商法規を現在呼ぶ語。鎌倉時代、貞応二年(一二二三)制定との説もあるが、室町末期か、戦国時代にできたものと思われる。三一箇条のもの、四三箇条前後のものなどあり、どれが原型かを確かめることは困難で、名称も諸種が伝わる。慣習法を成文化したものと思われるが、船主船舶、船員、運送海難救助船舶衝突共同海損などかなり発達した内容を含んでおり、江戸時代の海運業者の間でも広く用いられた。

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デジタル大辞泉 「廻船式目」の意味・読み・例文・類語

かいせん‐しきもく〔クワイセン‐〕【廻船式目】

日本最古の海商法規と目されているもの。海上運送に関して、船の使用や事故の際の処置の方法などを規定。貞応2年(1223)北条義時制定の旨の奥書があるが、実際には室町末期に瀬戸内海海賊衆の間で慣習法をまとめたものらしい。

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改訂新版 世界大百科事典 「廻船式目」の意味・わかりやすい解説

廻船式目 (かいせんしきもく)

日本最古の海法。もともと一定の名称はなく,《廻船大法》《船法度》《船法》などと呼ばれていたが,近年はだいたいこの呼称に統一されるようになった。全31ヵ条からなるが,43ヵ条などのものもあり,これは後世の追加によると考えられる。末文に,鎌倉時代前期の1223年(貞応2)に摂津兵庫,土佐浦戸,薩摩坊津の3人の船主らが作成した船法に北条氏が袖判を加えたと記してあり,鎌倉幕府公認のものとしている。しかしこれは本書を権威づけるための後世の仮託であって,実際の成立年代はこれよりはるかに下った室町末期と考えられる。古くから船仲間の間に通用していた,地方ごとに異なったさまざまな慣行が,海運の発展に伴ってしだいに広範な地域にまたがる統一的な慣行にまで成長し,さらにそれが成文化したものが《廻船式目》であったといえる。

 その内容は多様で,借船に関する規定,積荷の損害補償のあり方,船舶どうしの衝突における責任の決め方,はね荷と共同海損に関する規定,漂着船の処理方法など,いずれも具体的でかなり進んだ規定である。これによって当時の日本の海運界が相当高度の発達段階にあったことがうかがわれ,これと同水準の海法は,ヨーロッパにおいても15世紀以後の商業の隆盛を背景にしてイタリアベネチアに初めて現れる。

 《廻船式目》は中世のみならず近世に至るまで,法としての生命を持ち続ける。無主物としての漂着船は優先的に寺社に寄進するという,第1条の寄船規定などのように,多分に中世的で近世には継承されがたい条文もあるが,その他はおおむね近世社会にも妥当する。そのため近世に入っても,全国各地でこの式目が書写され,現在まで多数残存することとなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廻船式目」の意味・わかりやすい解説

廻船式目
かいせんしきもく

わが国最初の海運・海商に関する成文法。内容は、難破船の救助、海損保障、船の貸借規定など多岐にわたる。条数は、30箇条から43箇条まで伝本によって異なる。奥書に、1223年(貞応2)3月、摂津兵庫(ひょうご)、土佐浦戸(うらど)、薩摩坊津(さつまぼうのつ)の住人3名が、公家(くげ)よりの下聞に対して「船法」を上申し、それを記録したものと記されている。この年記は、同年に諸浦の調査を含む諸国大田文(おおたぶみ)の撰進(せんしん)が進行していたこととなんらかの関係があろう。一般に、実際の成立が近世的廻船が勃興(ぼっこう)した織豊(しょくほう)時代とされている点は妥当であるが、1415年(応永22)の摂津尼崎(あまがさき)の問丸(といまる)代官の年貢船送請文(うけぶみ)に「海上の事ハ、廻船の法に任せ候」とあるように、この式目の部分的、慣習法的前提は、より早くから存在したことも留意すべきである。

[保立道久]

『『中世日本の商業』(『豊田武著作集 第2巻』所収・1982・吉川弘文館)』

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百科事典マイペディア 「廻船式目」の意味・わかりやすい解説

廻船式目【かいせんしきもく】

日本最古の海商法規。古くは《船法度(はっと)》。《船法》などと呼ばれた。1223年北条義時の制定と明記されているが,室町後期,海上商人の間に発達した慣習を基礎として瀬戸内海の海賊衆が作ったといわれる。船舶,船主,船員,海難救助など全31ヵ条からなるが,41ヵ条・43ヵ条などもあり,これらは後世の追加と考えられる。豊臣秀吉はこれを参照して《海路諸法度》を制定した。
→関連項目土崎十三湊

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「廻船式目」の解説

廻船式目
かいせんしきもく

日本最古の海商法。末文に1223年(貞応2)成立と記すが,これは権威づけのための仮託で,実際の成立は戦国期と推定される。中世以来の各港津の発達,運送業者の分業化や座的団体の形成とそれにともなう権利強化,活動範囲の広がりが,古くから各地方に存在した慣習法をもとに,広範囲な地域に統一的に通用する成文法の成立を促した。写本も多く条文数もまちまちだが,原文は31カ条で,のち修正・付加された。内容は多様だが,船主・荷主・船頭・水主(かこ)それぞれに対する共同海損の規定が多くを占める。近世に入ると海法も多様化するが,「廻船式目」はその核として継承された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廻船式目」の意味・わかりやすい解説

廻船式目
かいせんしきもく

古くは『船法』『船法度 (ふねはっと) 』『船作法書』ともいわれた。日本最古の海商法規。 15~16世紀,瀬戸内海の海運業者の慣習法を成文化したもの。船舶および船主,船頭,水主,共同海損,海難救助,航海儀礼など 31ヵ条 (のち 43ヵ条) から成る。多く写本で伝わるが,活字では『海事史料叢書』『改訂史籍集覧』『日本経済大典』に収められている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「廻船式目」の解説

廻船式目
かいせんしきもく

わが国最古の海事商法規
1223年制定説もあるが,15世紀後半〜16世紀中ごろとする説が有力。おもに西国海運業者に適用され,内容は船舶・船主・船員・借船・共同海損・衝突・海難救護など多面にわたる。後世の海事商法に与えた影響は大きく,豊臣秀吉はこれを参照して海路諸法度を制定した。

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