20世紀日本人名事典 「廖 承志」の解説
廖 承志
リョウ ショウシ
Liao Cheng-zhi
07の政治家 中国全国人民代表大会(全人代)常務委副委員長;中国共産党政治局員;中日友好協会会。
- 国籍
- 中国
- 生年
- 1908年8月8日
- 没年
- 1983年6月10日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 嶺南大学,早稲田大学
- 経歴
- 孫文の片腕であった廖仲愷を父に持ち、亡命先であった日本で生まれる。1919年帰国したが、廖仲愷が暗殺され、’25〜28年早稲田大学に学ぶ。帰国後、’28年中国共産党入党、ドイツ、オランダなどで中国海軍部隊の赤化工作に携わる。’32年に帰国したが、逮捕。釈放後、’34年長征に参加して延安に至り、’35年延安で出版局長を務めた。日中戦争中は香港を中心に活躍、’42〜46年香港で国民党により投獄されていたが、中華人民共和国成立後は’56年共産党中央委員となり特に華僑問題、統一戦線活動を指導し、’62年高碕達之助との間に「LT貿易覚書」を締結、’64年以降中日友好協会会長を務めた。文化大革命では激しい攻撃を受け、’69年の九全大会で党中央委員を解任されたが、外交部顧問として日中国交正常化交渉などにあたり、’73年4月国交正常化後、初の大訪日代表団を率いて来日、’73年十全大会で党中央委員に復活した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報