康熙帝(読み)こうきてい(英語表記)Kangxidi

精選版 日本国語大辞典 「康熙帝」の意味・読み・例文・類語

こうき‐てい カウキ‥【康熙帝】

中国、清朝の第四代皇帝(在位一六六一‐一七二二)。名は玄燁(げんよう)廟号聖祖三藩の乱を鎮定し、チベット台湾などを平定。また、ロシアの東進をはばんだ。学芸を奨励し、「康熙字典」「佩文韻府(はいぶんいんぷ)」など諸種の編集事業を起こし、孫の乾隆帝とともに「康熙・乾隆時代」と呼ばれる清朝の全盛期を現出した。(一六五四‐一七二二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「康熙帝」の意味・読み・例文・類語

こうき‐てい〔カウキ‐〕【康熙帝】

[1654~1722]中国、朝の第4代皇帝。在位1661~1722。廟号は聖祖。いみな玄燁げんよう三藩の乱を治め、台湾を領有し、ロシア・蒙古・チベットに兵を進め、国土拡張。また、西洋学術を導入、学芸を振興して、清朝全盛期の基礎を固めた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「康熙帝」の解説

康熙帝(こうきてい)
Kangxidi

1654~1722(在位1661~1722)

の第4代皇帝。名は玄燁(げんよう),廟号は聖祖。康熙は年号順治帝の第3子。中国歴代の君主中第一の名君といわれ,常にみずから文武の道に励んだ。三藩(さんぱん)の乱を平定し,台湾の鄭氏(ていし)を滅ぼし,ロシア人を討ってネルチンスク条約を結び,ジュンガル勢力を征して外モンゴル,青海,チベットを服属させるなど大きな武功を立てた。また黄河治水など内治にもよく意を用い,学術を奨励して『康熙字典』など多くの書物を編纂し,みずから学問を好み,宣教師から洋学をも学んだ。康熙・乾隆時代といわれる清の全盛期の基礎を確立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「康熙帝」の解説

康熙帝
こうきてい

1654〜1722
中国の清朝第4代皇帝,聖祖(在位1661〜1722)
世祖順治帝の第3子。8歳で即位し,南方に勢力を張っていた平西王呉三桂らの三藩の乱を平定し(1681),ついで台湾の鄭 (てい) 氏を屈服させた(1683)。さらに当時,黒竜江沿いに南侵してきたロシアと戦い,ネルチンスク条約で国境を定め(1689),外モンゴル・青海・チベットを平定した。貿易を拡大し,銀の流入で財政は豊かになり,盛世滋生人丁 (せいせいじせいじんてい) で人頭税を軽減し,税制合理化に努力した。大いに文化事業をおこし,多数の欽定書(『古今図書集成』『康熙字典』『淵鑑類函 (えんかんるいかん) 』『佩文韻府 (はいぶんいんぷ) 』など)を編集させた。また外国人宣教師を用いて全国を測量し,『皇輿全覧図 (こうよぜんらんず) 』を作成させたが,イエズス会以外の宣教師を追放した(典礼問題)。在位61年政務に精励し,清の中国支配を定着させ,名君とたたえられた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android