座間味間切(読み)じやまんまぎり

日本歴史地名大系 「座間味間切」の解説

座間味間切
じやまんまぎり

座間味島・阿嘉あか島・慶留間ぎるま島などで構成される琉球王国の地方行政区画。方音ではジャマン渡嘉敷とうかしち間切とともに慶良間きらま島のうちで、また久米方に属し、久米方六ヵ間切とも称された。慶良間島馬歯山ばしざんともいわれるが(指南広義・中山伝信録)、うち西馬歯山に相当する。現渡嘉敷とかしき村をその範囲とし、三つの有人島のほか屋嘉比やかん島・久場くぼー島・外地ふかじ島など無数の無人島があり、久場島・屋嘉比島にはケラマジカが生息する。「おもろさうし」巻一三の一二八には「又 けらまたひ やた物(慶良間旅だったのに)/さまみたひ やた物(座間味旅だったものを)」とみえる。絵図郷村帳に「座間味島 座間味間切」とあり、座間味村・阿佐あさ村・阿真あま村が記される。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳に計羅摩島のうちとして「座間味島」とある。里積記の諸村位定には慶留間村・阿佐村を加えた五ヵ村が記される。座間味間切を領有する惣地頭として初めて史料に登場するのは乾隆二二年(一七五七)の仲松庸昌(のち座間味庸昌)で、唐名は殷元良、琉球画壇の代表的な宮廷絵師でもあった(殷姓家譜)。「琉球国由来記」によれば、地方役人は阿真大屋子(地頭代)・慶留間大屋子(二員、夫地頭)・首里大屋子・大掟・座間味掟・阿嘉掟・阿佐掟・大文子(二人)・脇文子(二人)・原廻(四人)となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android