座喜味城跡(読み)ザキミジョウアト

デジタル大辞泉 「座喜味城跡」の意味・読み・例文・類語

ざきみじょう‐あと〔ザキミジヤウ‐〕【座喜味城跡】

《「ざきみぐすくあと」とも》沖縄県中頭なかがみ読谷よみたん村にある城跡。15世紀初頭に中世沖縄の有力按司あじ護佐丸ごさまるによって築城されたものといわれる。昭和47年(1972)国指定史跡。平成12年(2000)「琉球王国グスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。→琉球

ざきみぐすく‐あと【座喜味城跡】

ざきみじょうあと(座喜味城跡)

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国指定史跡ガイド 「座喜味城跡」の解説

ざきみじょうあと【座喜味城跡】


沖縄県中頭(なかがみ)郡読谷(よみたん)村座喜味にあるグスク(城)跡。沖縄本島中部西海岸の赤土台地に築かれ、築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が、15世紀初期に築いたといわれている。護佐丸は中山王(ちゅうざんおう)の尚巴志(しょうはし)とともに、北山南山と戦い、琉球王国の統一に大いに活躍した武将である。城の歴史上の役割や石造拱門(アーチ門)を含めた築城技術の重要性から、1972年(昭和47)に国の史跡指定。1978年(昭和53)に追加指定と一部解除があった。遺跡は、標高約120mの名護層を基盤とする丘陵に立地しており、一の郭(くるわ)と二の郭からなる。それぞれの郭には石造拱門が造られており、アーチがかみあう中央にくさび石がはめられており、他のグスクには類例がない。郭内の面積は約7400m2で、城壁は高い所で約13m、低い所で約3m。城壁の石材は琉球石炭岩で、相方(あいかた)積みと布積みの手法を用い、重厚で曲線が多くとりいれられている。2000年(平成12)、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産に登録された。那覇バスターミナルから沖縄バス「座喜味」下車、徒歩約20分。

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百科事典マイペディア 「座喜味城跡」の意味・わかりやすい解説

座喜味城跡【ざきみじょうあと】

沖縄県読谷(よみたん)村北部,標高127mの高台にある石垣囲いの施設〈グスク〉のうちの一つ。15世紀ごろ,築城家として知られる護佐丸によって築かれたとされ,1の郭と2の郭で構成される。発掘調査により,土器須恵器陶磁器鉄器など多数が出土しており,15〜16世紀のものと推定される。見通しが良いことから,第2次世界大戦中は日本軍の高射砲陣地として用いられ,敗戦・接収後は米軍の通信基地として使われた。2000年には〈琉球王国のグスク及び関連遺産群〉の一部として世界遺産に登録されている。
→関連項目沖縄[県]世界遺産条約中城城跡

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事典・日本の観光資源 「座喜味城跡」の解説

座喜味城跡

(沖縄県中頭郡読谷村)
新おきなわ観光名所100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の座喜味城跡の言及

【読谷[村]】より

…また,読谷山花織(ゆんたんざはなうい)や読谷壺屋焼などの伝統工芸がある。護佐丸が築城した座喜味(ざきみ)城跡(史),琉球音楽の始祖とされる赤犬子(あかいんこ)をまつる赤犬子宮などの史跡がある。【堂前 亮平】。…

※「座喜味城跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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