府中市(読み)フチュウシ

デジタル大辞泉 「府中市」の意味・読み・例文・類語

ふちゅう‐し【府中市】[東京都]

府中

ふちゅう‐し【府中市】[広島県]

府中

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日本歴史地名大系 「府中市」の解説

府中市
ふちゆうし

面積:一一一・九七平方キロ

県の東南部に位置し、東西一二・三キロ、南北一六・五キロ。町の中央を阿字あじ川が南流し芦田あしだ川に合流、やがて父石ちいし御調みつぎ川を合わせた芦田川は市街南部を西南から東南に貫流する。市の北部は標高四〇〇―五〇〇メートル、西部も三〇〇―四〇〇メートル、南部も二〇〇―三〇〇メートルの山々が連なり、市街地は備後平野の東端に位置する。北から右回り神石じんせき三和さんわ町、芦品郡新市しんいち町、福山市、御調郡御調町、世羅郡甲山こうざん町、甲奴こうぬ上下じようげ町に囲まれる。市の東南から西北に国鉄福塩線が走り、また新市町を経て福山市に通ずる県道、上下町に通ずる県道、御調町に通ずる県道、福山市松永まつながに通ずる県道などがある。

府中市はかつての芦田郡を中心とし、一部御調郡および甲奴郡の地域を含む。備後の国府は「国府在葦田郡」(和名抄)と芦田郡にあった時期があり、その所在地は府川ふかわ町に比定されている。府川はかつて府中と称し、府中市ふちゆういち(現府中町)成立後古府中こふちゆうと改めたが、紛らわしいのでさらに府川村と改称した。一般に国衙のあった所を後世府中とも称したようであるから、古代備後国衙の所在地としての呼称が、現在の府中市の起源となったものであろう。

〔原始・古代〕

広谷ひろたに町に縄文後期―弥生後期の広谷小学校校庭遺跡、用土ようど大久保おおくぼに弥生後期―古墳時代の大久保遺跡、父石町法全坊ほうぜんぼうから隣接の篠根しのね矢井田やいだにかけて弥生後期の法全坊遺跡、三郎丸さぶろうまる盾石たていしに盾石遺跡(細形銅剣出土)、用土町千原ちばら栗柄くりがら大門おおかどの境に古墳前期の千原古墳、土生はぶ野屋の木のやのきに古墳後期の野屋の木古墳などがある。その分布は芦田川流域および国府の所在地に比定される地域である。

またもと町に白鳳期の伝吉田よしだ寺跡(町廃寺跡)、栗柄町に白鳳期の栗柄廃寺跡があり、前者は国府寺、後者は国分尼寺とする説もある。両寺跡から発掘された忍冬唐草文の軒平瓦は同型と推定されており、両寺は国府と関係する寺と考えてよかろう。また本山もとやまぜにガタオ・火呑ひのみヲクにある平安時代の青目しようもく寺跡、本山町と新市町つねにまたがる地域にある奈良時代前期の常城つねき跡、父石町前原まえばらの奈良時代前期の芦田軍団の建物跡と推定される父石遺跡などの存在は、府中市の市街地に古代備後国衙のあったことを推定する立場を補強しよう。

府中市
ふちゆうし

面積:二九・三四平方キロ

都の中央部、多摩川中流北岸に位置し、東は調布市、西は国立くにたち市、北は小金井市・国分寺市、南は稲城いなぎ市・多摩市と接する。市域は多摩川沖積地と立川段丘に大別され、最北端がわずかに武蔵野段丘にかかっている。この立川段丘の南縁に沿って古くから集落が開け、現在でも国道二〇号(甲州街道)・JR南武線・京王線が東西に走り、市の中心部を形成している。中央部を南北にJR武蔵野線が、東部を南北に西武多摩川線が走っている。

〔原始・古代〕

市域の遺跡はおもに武蔵野・立川両段丘上と沖積地に分布する。旧石器時代の遺跡には北西部武蔵台むさしだい二丁目の武蔵台遺跡多摩蘭坂たまらんざか遺跡などがある。国分寺崖線上にある武蔵台遺跡は文化層が八層ある多文化層遺跡で、同じ崖線上に立地する多摩蘭坂遺跡では第IV文化層から細石刃が一〇〇点以上出土した。縄文時代では武蔵台遺跡の早期前半とされる大規模弧状集落跡や清水が丘しみずがおか遺跡の同中期の集落跡と土器群が全国的にも注目度の高い資料である。市域における弥生時代の遺跡は現在確認されていない。古墳時代の遺跡は清水が丘一―二丁目などの清水が丘西遺跡で前期の集落跡が発見されているほか、同後期では南西部の高倉たかくら古墳群、東部の白糸台しらいとだい古墳群などの群集墳がある。古代では武蔵国府推定地とその関連遺跡が立川段丘上を中心に東西約六・五キロ、南北最大約一・八キロに及び、近年その範囲が沖積地まで広がることが明らかとなりつつある。国府の中枢施設である国庁は未発見だが、大国魂おおくにたま神社東の京所きようず地区にあったことが確実視されている。また市の北部から国分寺市にかけて立地する武蔵国分寺関連遺跡では国分寺の造営や維持管理にかかわる遺構・遺物が発見されている。とくに僧寺金堂から南約四八〇メートルの地点で発掘された推定国分寺参道・門柱跡や武蔵台遺跡出土の漆紙文書(天平勝宝九歳の具注暦断簡)が注目される。国府と関連し、古代の主要官道の一つ推定東山道武蔵路の一部が三好みよし町一丁目・同三丁目や武蔵台一丁目で確認されている。

武蔵国府が設置されたのは七世紀末―八世紀前半と考えられ、以後府中は武蔵国の中心都市として繁栄したものと推定される。しかし市域においては古墳時代のまとまった集落遺跡は現在確認されておらず、強大な豪族の存在を示す大古墳もみられない。

府中市
ふちゆうし

2004年4月1日:府中市が甲奴郡上下町を編入
【上下町】広島県:甲奴郡
【府中市】広島県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「府中市」の意味・わかりやすい解説

府中〔市〕
ふちゅう

広島県東部,芦田川中流域にある市。福山市の北西に接する。 1954年府中町と岩谷村,広谷村,国府村,栗生村,下川辺村の5村が合体して市制。 1956年河佐村,諸田村の2村と御調町の一部,1975年協和村,2004年4月上下町をそれぞれ編入。中心市街地は芦田川の谷口集落で,古代には備後国国府が置かれた。明治以後は郡役所が置かれて発展。日本有数のたんすの産地であり府中家具として知られ (→鵜飼 ) ,また味噌醸造も行なわれる。備後機業地の一部を構成し,備後絣の機業が盛ん。 1963年備後工業整備特別地域に指定され,産業機械,電機部品,ゴム製品など近代工業も進出した。三室公園,青目寺 (しょうもくじ) などの古刹がある。 JR福塩線,国道 486号線が通る。面積 195.75km2。人口 3万7655(2020)。

府中〔市〕
ふちゅう

東京都中南部,多摩川の北岸にある市。 1954年府中町と多磨村,西府村が合体し市制。かつて武蔵国の国府がおかれていたことが地名の由来。江戸時代は甲州街道宿場町で,六斎市も開設され,商業の中心地として繁栄した。第2次世界大戦を契機に製鋼,電機などの大工場が進出し,また宅地化も急速に進展した。大国魂神社で毎年5月に行われる暗闇 (くらやみ) 祭は有名。参道のケヤキ並木は天然記念物。多磨霊園,東京競馬場がある。京王電鉄京王線,JR南武線,武蔵野線,西武鉄道多摩川線が通じ,都心,川崎や横浜,埼玉に連絡。国道 20号線,中央自動車道が通り,稲城,国立府中インターチェンジがある。面積 29.43km2。人口 26万2790(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の府中市の言及

【府中[市]】より

…江戸時代には福山藩が綿作を奨励し,備後絣が名産となっている。府中市(ふちゆうのいち)(現,府中町)は石州路の宿駅で,口留番所では木綿などの他領への持出しを取り締まった。楽群舎などいくつもの私塾が設けられ,藩内でも教育の盛んな地であった。…

※「府中市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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