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浪曲家。初代は,3代広沢虎吉。(1)2代(1899-1964・明治32-昭和39) 本名山田信一。東京芝の生れ。関西の2代広沢虎吉門下。23歳で真打になって帰京し,題材に3代神田伯山(はくざん)の講談《清水次郎長》《夕立勘五郎》などを選び,節(ふし)は2代鼈甲斎虎丸(べつこうさいとらまる)の明るさに初代木村重松の感傷調を加味し,軽妙な会話も手伝って圧倒的人気を呼んだ。とくに《森の石松・三十石船》における〈江戸っ子だってねえ。すしを食いねえ〉のせりふは流行語になったほどだった。レコード,映画,舞台と幅広く活躍し,昭和浪曲界最高の人気者だった。(2)3代(1922-93・大正11-平成5)本名田中武雄。東京生れ。2代門下。虎之助から襲名。《森の石松・三十石船》《石松の最期(さいご)》などが得意。
執筆者:興津 要
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浪曲師。2代目。本名山田信一。東京生まれ。大阪で、3代目広沢虎吉を襲名した初代虎造に2代目の名跡を譲られたのち帰京、浪曲師山田東盛に見込まれその女婿となった。妻トミが相三味線となり、合いの子節を基調に関東節の名人たちの長所を取り入れ、独得の虎造節をつくりだした。その『次郎長外伝・石松代参』は「ばかは死ななきゃなおらない」の当て節とともに、昭和初期から第二次世界大戦後までレコード、ラジオ、舞台で人気をよび、映画出演も延べ100本に及ぶほどの石松人気を独占した。2代目の死後、門下の虎之助が3代目虎造(1922―93、本名田中武雄)を襲名。3代目虎造は1990年(平成2)から91年まで日本浪曲協会会長を務めた。
[秩父久方]
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…墓は清水市の梅蔭寺。【吉原 健一郎】
[人物像]
講談,浪曲の題材としての清水次郎長を定着させたのは,講釈師の3代目神田伯山であるが,この伯山のところに日参して稽古した浪曲師2代目広沢虎造のラジオ放送やレコードによって昭和初期の大衆にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。…
※「広沢虎造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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