平林寺(読み)へいりんじ

精選版 日本国語大辞典 「平林寺」の意味・読み・例文・類語

へいりん‐じ【平林寺】

埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺。山号、金鳳山。院号、養心院。岩槻に永和元年(一三七五)創立。開基は太田道真。開山は石室善玖。江戸初期、川越藩主松平氏の菩提所として岩槻から現在地に移築。奥庭は野火止用水を利用の池泉回遊式名園。

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デジタル大辞泉 「平林寺」の意味・読み・例文・類語

へいりん‐じ【平林寺】

埼玉県新座市野火止のびどめにある臨済宗妙心寺派の寺。山号は金鳳山。開創は天授元年=永和元年(1375)、開山は石室善玖。岩槻城主太田道真が岩槻に建立。寛文3年(1663)川越藩主松平輝綱が現在地に移築し、菩提寺とした。

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日本歴史地名大系 「平林寺」の解説

平林寺
へいりんじ

[現在地名]新座市野火止三丁目

野火止のびどめ台地中央にあり、北を川越街道(国道二五四号)、南を関越自動車道が走る。金鳳山と号する臨済宗妙心寺派の古刹で、本尊は釈迦如来。もとは「崎西県渋江郷金重村」、現在の岩槻市平林寺に寺基を開いたが(嘉慶元年一一月一三日「梵鐘銘」茨城県下妻市大宝八幡神社蔵)、檀越の川越藩主松平伊豆守信綱の発願により寛文三年(一六六三)野火止宿の南の当地に移った。

応安八年(一三七五)春、鎌倉建長寺内に退居していた石室善玖を開山に請じて創建されたという(延宝伝灯録)。開基は不詳であるが、永和二年(一三七六)八月頃と推定される「平林石室」宛の義堂周信の書状(「空華集」一四)に、檀那である備州太守太田公が死去したことが記されていることから、この太田備州が開基と考えられる。永和元年八月、当寺から義堂のもとへ戻った海翁周東より石室の返事がもたらされたり(「空華日用工夫略集」同月七日条)、同三年九月には平林寺の石室が義堂の鎌倉円覚寺黄梅おうばい院再住を賀して一偈を贈ったほか(同書同月二八日条)、火事を見舞った石室の手紙に対する返事などが「空華集」に収められており、義堂と石室の間には親交があった。なお年未詳であるが、「空華集」四には無外首座が炎暑を避けて武蔵国に赴き、「平林」の藤・橘二老翁を訪れた記事がある。嘉慶元年(一三八七)一一月一三日、石室や住持禅、大檀那蘊沢らによって当寺の梵鐘が鋳造されている(前掲梵鐘銘)。なお石室は康応元年(一三八九)九月二五日、九六歳で建長寺金竜きんりゆう庵で没した(平林寺史)

創建から金竜庵末寺であったが、一五世紀の中頃同庵が同じ建長寺山内妙高みようこう庵に併合されたため、その末寺となった。天文一三年(一五四四)妙高庵主は弟子の安蔵主(のちの泰翁宗安)に平林寺、大安だいあん(現川島町)安楽あんらく(現吉見町)の三ヵ寺を譲ることを岩付いわつき(現岩槻市)城主太田全鑑より了承され(同年閏一一月二四日「太田全鑑書状」平林寺文書、以下とくに断らない限り同文書)、同一六年には三ヵ寺門前の諸公事が免除されている(同年七月一〇日太田全鑑書状)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平林寺」の意味・わかりやすい解説

平林寺
へいりんじ

埼玉県新座(にいざ)市野火止(のびどめ)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。正式には金鳳山(きんぽうざん)平林禅寺という。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1375年(天授1・永和1)に武州岩槻(いわつき)城主の太田道真(どうしん)(道灌(どうかん)の父)が岩槻在平林邑(むら)(現さいたま市岩槻区金重(かなしげ))に建立し、石室善玖(いしむろぜんきゅう)(直指見性(じきしけんしょう)禅師)を招いて開山としたのが始まりである。天正(てんしょう)年間(1573~92)兵火によって堂宇は焼失したが、江戸時代に徳川家康は臨済寺(現静岡市葵(あおい)区大岩)の鉄山(てつざん)を招いて中興開山とした。のち1663年(寛文3)川越(かわごえ)城主松平信綱(のぶつな)の子輝綱(てるつな)が岩槻より現在の地に移して菩提(ぼだい)寺とし、江戸登城のときの宿坊とした。関東随一の専門道場をもつ。境内には野火止用水が流れ、山門、仏殿、本堂、松平(大河内(おおこうち))信綱・増田(ました)長盛の墓などがある。クヌギコナラなどの残る雑木林は平林寺境内林として国の天然記念物である。

[菅沼 晃]

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改訂新版 世界大百科事典 「平林寺」の意味・わかりやすい解説

平林寺 (へいりんじ)

埼玉県新座市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は金鳳山。もと岩槻にあり,寺伝では1375年(天授1・永和1)石室禅師が開山,開基は岩槻城主太田道真とするが不詳。1590年(天正18)岩槻城落城の際,当寺も焼失。92年,徳川家康が駿河臨済寺の鉄山を迎えて中興,朱印寺領50石。のち川越城主松平信綱が領内に寺の移建を宿願,その子輝綱の1663年(寛文3),現在地に移し菩提寺とした。広大な境内林(天)があり,野火止用水が流れる。
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百科事典マイペディア 「平林寺」の意味・わかりやすい解説

平林寺【へいりんじ】

埼玉県新座(にいざ)市野火止(のびどめ)にある臨済宗妙心寺派の寺院。本尊阿弥陀如来。山号は金鳳山(きんぽうざん)。太田道灌の父,道真が石室善玖を招いて開山したと伝えられるが,太田氏没落後,現地へ川越城主が移した。境内林(天然記念物)は広く,武蔵野の面影をとどめ,紅葉の名所。

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デジタル大辞泉プラス 「平林寺」の解説

平林寺

埼玉県新座市にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は金鳳山。1375年、建長寺派の寺院として創建。のちに徳川家康が鉄山禅師を招聘して臨済宗の寺となる。1663年、川越藩主により岩槻から現在地(野火止)に移転。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平林寺」の意味・わかりやすい解説

平林寺
へいりんじ

埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺。永和1 (1375) 年岩槻城主太田道真が創建し,石室善玖を開山として迎えた。のち徳川家康の庇護を受け,さらに川越城主松平氏が現在地に移築した。

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