平手政秀(読み)ひらてまさひで

精選版 日本国語大辞典 「平手政秀」の意味・読み・例文・類語

ひらて‐まさひで【平手政秀】

戦国時代武将。初名清秀。中務丞。尾張国愛知県)の人。織田信秀の命で信長養育補佐にあたり、その放肆な振舞いを諫めるために自刃した。信長は非を悟り、政秀寺を建てて冥福を祈った。明応元~天文二二年(一四九二‐一五五三

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デジタル大辞泉 「平手政秀」の意味・読み・例文・類語

ひらて‐まさひで【平手政秀】

[1492~1553]戦国時代の武将。織田信秀家老で、信秀の子信長の補佐役を命じられた。信秀没後、信長の振る舞いをいさめるために自刃、信長は政秀寺を建立して冥福を祈った。

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改訂新版 世界大百科事典 「平手政秀」の意味・わかりやすい解説

平手政秀 (ひらてまさひで)
生没年:1493-1553(明応2-天文22)

戦国期の武家で,織田信秀の老臣。初名は清秀,中務丞と称した。1533年(天文2)公家飛鳥井雅綱・山科言継一行の勝幡(しよばた)城滞在中の接待に当たる。44年に信秀の命で上京,皇室献金の役を果たす。このころ,林通勝らとともに那古野(なごや)の新城を与えられた信長に付けられて信長の育成に当たり,蔵入領支配を担当。47年の美濃大柿(大垣)攻撃後,斎藤道三の女と信長の婚約を献策し,成立させて和睦に導いた。信秀の死後,信長の所業から家臣の離反するのを憂えて諫死し,信長大成の因となったという。
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朝日日本歴史人物事典 「平手政秀」の解説

平手政秀

没年:天文22.閏1.13(1553.2.25)
生年:明応1(1492)
戦国時代の武将。平手経秀の子。通称五郎左衛門。監物,中務丞を称した。名ははじめ清秀。織田信秀の重臣で,信秀が信長に那古野城(名古屋城)を与えたとき,家老として信長の傅役となった。天文12(1543)年,信秀の命によって上洛し,内裏築地修理料として4000貫文を献上している。同16年,信長初陣に当たっては,政秀が後見を務めた。また同年,信秀と美濃斎藤道三との戦いのあと,両者の講和をはかろうと,道三の娘(濃姫)を信長に嫁がせるよう斡旋したのも政秀であった。同20年に信秀が死んでからも素行の改まらない信長に対し,しばしば諫言をしたといわれている。通説では,たびたびの諫言が聞きいれられないのを悲観して自刃したとされるが,『信長公記』によると,政秀の子が持っていた名馬を信長が所望し,それを拒絶して以来,両者の関係が不和になったとしている。

(小和田哲男)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平手政秀」の意味・わかりやすい解説

平手政秀
ひらてまさひで
(1492―1553)

戦国時代の武将。尾張(おわり)国(愛知県)の人。中務丞(なかつかさのじょう)と称す。織田信秀(のぶひで)の家老。信秀の命で上洛(じょうらく)して朝廷に奉仕し、また石山本願寺に赴いている。のち信秀の子信長の付家老(つけがろう)として林通勝(みちかつ)、青山与三左衛門とともに仕える。信長の幼少時より養育にあたったが、その奇行ゆえに信長が人心を失うことを恐れ、たびたび諫言(かんげん)する。信秀の死後も行状が改まらなかったため、1553年(天文22)切腹して行いを戒めた。信長はその非を悟り、僧沢彦(たくげん)に命じ政秀(せいしゅう)寺を建立して冥福(めいふく)を祈った。政秀寺は春日井(かすがい)郡小木(こき)村(小牧市小木)にあったが、1610年(慶長15)名古屋に移され現存する(名古屋市中区)。

[橋詰 茂]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平手政秀」の解説

平手政秀 ひらて-まさひで

1492-1553 戦国時代の武将。
明応元年生まれ。織田信秀の家老。林秀貞とともに信秀の子信長の養育にあたる。信秀の死後,信長の奇行をいさめるため天文(てんぶん)22年閏(うるう)1月13日切腹。62歳。信長は非をさとり,僧沢彦(たくげん)に命じて政秀(せいしゅう)寺(名古屋市中区)をたてて供養した。初名は清秀。通称は五郎左衛門。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平手政秀」の意味・わかりやすい解説

平手政秀
ひらてまさひで

[生]明応1(1492).尾張
[没]天文22(1553).閏1.13. 尾張
戦国時代の武将。経秀の子。中務丞と称した。織田信秀に仕え,のち信長の傅役 (かしずきやく) となって尾張清洲城に住し,信長の養育に精励した。のち家老となったが,信長の奇矯なふるまいをいさめるため,自殺した。

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