平戸新田藩(読み)ひらどしんでんはん

世界大百科事典(旧版)内の平戸新田藩の言及

【平戸藩】より

…そのため,鎮信は明暦総検地を実施し,本百姓の維持・増大,商・漁業の振興をはかり,87年(貞享4)には知行制を改革し,生産物地代原則の確立と財政強化につとめた。5代藩主棟(たかし)は,89年(元禄2)弟昌(まさし)に新田1万石を分封(平戸新田藩)する一方,外様大名ながら91年寺社奉行となって幕政に参画したが,それにともなう臨時支出で財政は窮乏し,8代藩主誠信(さねのぶ)は倹約令と上米制を命じて財政難に対処した。9代藩主清(静山)は平戸藩最大の藩政改革=寛政改革を断行し,江戸,国元の財政組織を全面的に改正する一方,都市,農漁村の再建につとめ,晩年には《甲子夜話(かつしやわ)》の編纂にあたった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」