平戸(市)(読み)ひらど

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平戸(市)」の意味・わかりやすい解説

平戸(市)
ひらど

長崎県北西部に位置し、市域平戸島全域と生月島(いきつきしま)、度島(たくしま)、高島、大島(的山(あづち)大島)などの島々および九州本土の田平(たびら)地区からなる。1955年(昭和30)平戸町と中野(なかの)、獅子(しし)、紐差(ひもさし)、中津良(なかつら)、津吉(つよし)、志々伎(しじき)の6村が合併して市制施行。2005年(平成17)北松浦郡大島村、生月町田平町を合併。田平には国道204号、松浦鉄道が通じ、国道383号が縦断する平戸島とは平戸大橋で結ばれる。古くは『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』に、平戸島の南端宮ノ浦(みやのうら)に景行(けいこう)天皇巡幸の記事がみえ、ついで『延喜式(えんぎしき)』には、十城別(としろわき)王を祀(まつ)る志々伎山(347メートル)山頂の志々伎神社が記載されている。遣唐使の時代は庇良島(ひらしま)ともよばれる寄港地で、804年(延暦23)には、渡唐する空海が滞在。下って1191年(建久2)栄西(えいさい)が、宋(そう)から古江(ふるえ)湾の葦(あし)ヶ浦に帰着し、「冨春庵(ふしゅんあん)」で日本最初に禅規を伝えた。木引(こびき)町の千光寺南方の「冨春園」は、栄西が日本で最初の茶種を播(ま)いた所で、付近に「坐禅(ざぜん)石」がある。鏡川(かがみがわ)町の「薄香(うすか)」漁港は、日本で初めて梅を植えたといわれる近くの「梅崎」の地より、梅の香りがかすかに漂う所を意味していると伝えられる。現在市の中心をなす平戸市街は、1381年(弘和1・永徳1)松浦氏(まつらうじ)が館山(たてやま)(松浦史料博物館の裏山)に居を構え、町づくりが進展し、江戸時代は6万3000石の城下町として栄えた。その間1550年(天文19)から1641年(寛永18)までポルトガル、オランダ、イギリスとの貿易港として海外文化に接触した。市役所に隣接するイギリス商館跡、幸橋(さいわいばし)(国重要文化財)、平戸港の第一桟橋近くの平戸和蘭商館跡(ひらどおらんだしょうかんあと)(国史跡)のオランダ塀、オランダ井戸、オランダ埠頭(ふとう)などは独特のものである。港を望む南側の丘陵地には平戸城(亀岡(かめおか)城)、北側の丘陵上には崎方(さきかた)公園があり、園内には聖フランシスコ・ザビエル碑や三浦按針(みうらあんじん)の墓がある。丘陵斜面に、往時の貿易資料やジャガタラ文をはじめ多くのキリシタン史料を保存する松浦史料博物館や平戸オランダ商館がある。

 1541年(天文10)明人(みんじん)王直(おうちょく)が領主の許可を得て貿易した。当時の王直の屋敷跡が印山寺(いんざんじ)跡である。1550年フランシスコ・ザビエルの平戸滞在によって、全島にキリスト教が広まり、翌1551年日本最初の教会が建てられたという。キリスト教禁止令後は、島の西海岸にある下中野(しもなかの)、白石(しらいし)、春日(かすが)、高越(たかごえ)、獅子、根獅子(ねじこ)、堤(つつみ)の各集落で「隠れキリシタン」として殉教と迫害の苦難を繰り返しながらその信仰を守り続けている。殉教の島中江ノ島(なかえのしま)も市域に含まれる。城下町の南方の川内浦(かわちうら)は平戸開港当時、平戸港の外港的役割を果たした潮(しお)待ち港で、外国人向けの食料としてかまぼこの製造を行ったと伝えられ、現在川内かまぼこの特産地である。明の遺臣鄭芝龍(ていしりゅう)はこの地の女子を妻とし、1624年(寛永1)この川内浦の喜相院(きそういん)にて鄭成功(ていせいこう)が誕生した。現在、海水浴場としてにぎわう千里ヶ浜(せんりがはま)には「鄭成功児誕石(じたんせき)」があり、丸山(まるやま)には「鄭成功廟(びょう)」がある。

 市の北部の田助(たすけ)漁港も潮待ち港として繁栄し、江戸時代、船宿3軒、遊女屋30余軒を数え、「ハイヤー節」が生まれた。この元歌が日本海を北上しまたは五島(ごとう)・天草灘(なだ)を南下して、全国のアイヤ節、ハイヤ節、オケサ節のルーツをなしたという。市の中央部の中心集落紐差にはロマネスク様式の外観をもつカトリック紐差教会があり、南部の中心集落津吉では茶市が開かれ、南東岸の前津吉からは相浦(あいのうら)港(佐世保(させぼ)市)への航路がある。

 市の産業は、農漁業を主とし、米、麦、サツマイモのほかミカン栽培が台頭している。古くから牧牛が盛んで平戸牛の名がある。平戸瀬戸のトビウオ(地元ではアゴという)は、季節を告げる魚といわれ初秋に漁獲する。また川内湾では真珠養殖が行われている。

 平戸港は西海国立公園(さいかいこくりつこうえん)の北の玄関にあたり、本土からフェリーが通じていたが、1977年(昭和52)平戸大橋(全長665メートル)が完成。市の産業振興に大きな役割を果たしている。

 市域に含まれる度島は低平な玄武岩台地で、度島浦、飯盛(いいもり)などの集落は南岸に位置し、漁業が主で、台地上の畑作を副業としている。

 市の観光資源としては、既述の史跡のほか、国の天然記念物の黒子島(くろこじま)原始林(ハマビワ、ホルトノキなど)や、阿値賀島(あじかじま)(天然保護区域)のビロウ樹林などがあり、国指定の重要無形民俗文化財の平戸神楽(かぐら)やジャンガラ念仏踊などもある。生月島は大型巻網(まきあみ)漁業が盛ん。平戸島とは生月大橋で結ばれる。大島で盆に行われる須古(すこ)踊は国選択無形民俗文化財。田平では1622年(元和8)宣教師カミール・コンスタンス(カミロ・コンスタンツォCamillo Costanzo、1571―1622)が火刑により殉教をとげている。焼罪(やいざ)史跡公園に殉教の碑がある。面積235.12平方キロメートル、人口2万9365(2020)。

[石井泰義]

〔世界遺産の登録〕2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「平戸の聖地と集落」として、春日集落と安満岳(やすまんだけ)、ならびに中江ノ島が世界遺産(文化遺産)に登録された。

[編集部 2018年9月19日]

『平戸市編『平戸市史』(1983・大和学芸図書)』


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