平内応勝(読み)へいのうち・まさかつ

朝日日本歴史人物事典 「平内応勝」の解説

平内応勝

没年天和3.4.10(1683.5.6)
生年:寛永9(1632)
江戸前期の大工平内正信の子。幕府作事方大棟梁を務めた平内家2代目。正勝とも記し,大隅守を称す。慶安2(1649)年日光大猶院霊廟,天和1(1681)年上野厳有院霊廟の大棟梁。応勝の後半生は,幕府の作事が新築から維持修理へと転換される時代に当たった。平内家が属した作事方は新築工事を担当したが,一方,小修理を担当する小普請方があり,寛文期(1661~73)を境にして両者の工事数が逆転して,小普請方が作事方を凌駕した。平内家は作事方大棟梁の職を幕末まで継承するが,応勝は大棟梁が華々しく活躍する時代の最後を飾った。<参考文献>伊藤要太郎『匠明五巻考』,伊藤要太郎校訂『匠明』

(谷直樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平内応勝」の解説

平内応勝 へいのうち-まさかつ

1632-1683 江戸時代前期の大工。
寛永9年生まれ。平内政信の子。幕府作事方の大棟梁(とうりょう)をつとめた平内家の2代目。大隅守(おおすみのかみ)を称した。日光大猷院霊廟,上野厳有院霊廟などをたてた。天和(てんな)3年4月10日死去。52歳。名は正勝ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android