日本大百科全書(ニッポニカ) 「幕」の意味・わかりやすい解説
幕
まく
布製の遮蔽(しゃへい)具の一種。幔幕(まんまく)が布を縦に縫い合わせるのに対して、もっぱら布を長く広く横に縫い合わせるのを特色とし、遮蔽、装飾として用いた。『延喜式(えんぎしき)』によると、古くは、幕は上を覆うものの呼び名であったが、のちには幔幕と同様、側面に長く張り渡した屏障(へいしょう)に用いる布のことをいった。幕は布を横に五幅(いつの)継ぎ合わせたものを普通とし、中世にはもっぱら武家の陣中に用いられたので、陣幕ともいわれた。陣幕には多く麻布が用いられ、大きく紋章を染め抜き、布の縫い目には、物見という小穴が設けられていた。江戸時代になると、紋章を入れた紋幕が一般化し、町家でも儀式の際にかならず使用することとなった。後世になると布の縦横にかかわらず、幾布も縫い合わせたものをすべて幕とよび、幔幕、外幕(とまく)、内幕(うちまく)、のれん幕などのほか、能楽や歌舞伎(かぶき)のものも幕というようになった。
[宮本瑞夫]
演劇の幕
劇場で舞台と客席を隔てる布。西欧ではローマ時代から使用されたが、日本では近世の歌舞伎に始まる。中世の能・狂言および初期の歌舞伎は各演目が独立していたので、橋懸りの出入りに使う揚幕(あげまく)以外に幕は必要なかったが、「続き狂言」とよばれる多幕物が発達するにつれて、演出に不可欠の道具となった。江戸では1664年(寛文4)に初めて使用されたという。
西欧演劇、およびその影響を受けた現代の各演劇では上下に開閉する「緞帳(どんちょう)幕」を、またオペラでは中央から左右上方に開閉する「カーテン幕」を原則とするが、歌舞伎では左右に人力で開閉する「引幕(ひきまく)」を基本とする。引幕を代表するのは萌黄(もえぎ)(緑)、黒、柿(かき)の三色の布を縦に縫い合わせた「定式(じょうしき)幕」で、その三色は歌舞伎を象徴する色として親しまれている。ただし、江戸時代では官許を得た大劇場以外は引幕の使用を許されなかったので、一般に小劇場は粗末な緞帳を用い、小芝居を「緞帳芝居」、そこに出勤する俳優を「緞帳役者」と蔑称(べっしょう)するような習慣も生まれた。
歌舞伎では引幕以外にも多様な幕が使われる。そのおもなものは、浅黄(あさぎ)(葱)一色の「浅黄幕」、山、浪(なみ)、網代(あじろ)塀などの絵が描いてある「道具幕」(絵によってそれぞれ山幕、浪幕、網代幕などとよぶ)、舞台に飾った装置と天井の間のすきまを隠す「一文字(幕)」、舞台左右の観客にアラが見えそうな部分を隠す「袖(そで)幕」など。なお、黒一色の「黒幕」は一般演劇では装置の転換をするときの暗転幕として使うが、歌舞伎では夜の暗黒を表現する背景として使うことが多い。
総体に演劇では一段落を「一幕」といい、重要な意義をもつ。一幕が終わってから次の幕が開くまでの時間を「幕間(まくあい)」というが、実際には幕を引いても、鳴物、柝(き)などで観客の気分をつなぎ、その間に舞台転換を図るときには、とくに「つなぎ幕」という。また、歌舞伎では、幕を引いてから主人公が花道を引っ込む「幕外(まくそと)」の演出もしばしば行われる。
[松井俊諭]