常磐津文字太夫(3代)(読み)ときわづ・もじたゆう

朝日日本歴史人物事典 「常磐津文字太夫(3代)」の解説

常磐津文字太夫(3代)

没年文政2.12.1(1820.1.16)
生年:寛政4(1792)
江戸中期の常磐津節太夫。2代目文字太夫の子で,幼名林之助。寛政11(1799)年,2代目文字太夫が死に際して,2代目兼太夫を破門し,林之助に2代目小文字太夫を襲名させる。文化4(1807)年初舞台,11月市村座で「花安宅扇盃」を語って劇場初出勤。文政2(1819)年7月3代目文字太夫を継いだ。幼いころ跡目を継いだので,3代目兼太夫などがもり立てたが,早世したため事績は多くはなかった。しかし,変化舞踊の盛んな時期で,「願人坊主」「景清」「心中翌の噂」などを語った。<参考文献>岩沙慎一『江戸豊後浄瑠璃史』,安田文吉『常磐津節の基礎的研究』

(安田文吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常磐津文字太夫(3代)」の解説

常磐津文字太夫(3代) ときわず-もじたゆう

1792-1820* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政4年生まれ。常磐津節の2代常磐津文字太夫の子。寛政11年8歳で2代小文字太夫となる。文政2年7月3代文字太夫を襲名したが,同年12月1日28歳で早世した。幼名は林之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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