常滑焼(読み)とこなめやき

精選版 日本国語大辞典 「常滑焼」の意味・読み・例文・類語

とこなめ‐やき【常滑焼】

〘名〙 愛知県常滑市とその付近から産出する炻器(せっき)。その発祥は平安後期であり、酸化炎焼製の焼締め陶は中世陶器の先駆をなし、中部・東北の諸窯に大きな影響力をもった。中世の窯趾は三千か所ともいわれ、膨大な製造量を誇った。陶製土管、タイルモザイクなどの建築陶器、花器植木鉢茶碗茶器などが焼かれる。とこなべやき。

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デジタル大辞泉 「常滑焼」の意味・読み・例文・類語

とこなめ‐やき【常滑焼】

常滑市およびその付近から産する陶磁器。平安後期ごろから自然釉しぜんゆうのかかった壺・かめなどが焼かれ、江戸後期には朱泥しゅでいなどの焼成とともに茶陶器類を産して活況を呈した。今日では日用品・工業用品なども焼いている。とこなべやき。

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改訂新版 世界大百科事典 「常滑焼」の意味・わかりやすい解説

常滑焼 (とこなめやき)

愛知県知多半島の中央部,西海岸に面した常滑市域において焼かれた窯業製品。平安末期,猿投(さなげ)窯南部の灰釉陶窯の南下によって形成された中世最大の窯業地で,常滑窯とも知多半島古窯跡群とも呼んでいる。平安末期から鎌倉・室町時代にかけて,常滑市を中心に半島全域にわたって築かれた1200基以上の古窯跡が知られ,実数はそれに倍するといわれている。製品は無釉の碗,皿,鉢,瓶,壺,甕,瓦,仏器などで,地下に掘られた大型の窖窯(あながま)で焼かれている。半島中央部では壺・甕窯が,南北では碗・皿窯が卓越している。平安末期には三筋壺・経甕類が量産されており,鎌倉時代の大型の壺・甕類は青森県から鹿児島県までの太平洋岸一帯,さらに山陰にまで運ばれている。室町時代には備前焼の隆盛に押されて停滞し,常滑市域への窯の集約化がみられたが,室町末期には半地下式大窯(鉄砲窯)に転換して真焼と称する炻器(せつき)質の壺・甕類を量産し,再び隆盛に向かった。近世の常滑焼は真焼,赤物と呼ばれる日常雑器を主としているが,江戸後期に連房式登窯が導入されて,真焼は登窯で,赤物は大窯で焼かれるようになった。一方,天明年間(1781-89)に常滑元功斎が出て茶陶の世界が開け,幕末にかけて上村白鷗赤井陶然,伊奈長三らの名工が輩出して,陶彫,楽焼,白泥,藻がけ釉などに腕をふるった。明治に入ると杉江寿門に代表される朱泥物が勃興して,常滑焼の新分野が開けた。今日でも朱泥物をはじめ,茶器,壺など多くの陶器が作られているが,陶管,タイル,衛生陶器などもさかんに焼かれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「常滑焼」の意味・わかりやすい解説

常滑焼
とこなめやき

愛知県知多半島の陶芸総称。慣用として「とこなべやき」ともいう。常滑焼は初め平安時代の名窯・猿投窯(さなげよう)の支窯として開かれたが、12世紀になって在地の需要層をつかみ、地下に掘った大型の窖窯(あながま)で自然釉(ゆう)のかかった粗雑な甕(かめ)、壺(つぼ)、擂鉢(すりばち)を焼く窯として急成長を遂げた。窯は常滑市、半田市、大府市、東海市、東浦町、武豊(たけとよ)町に広く分布し、現在知られている1200基以上の中世古窯址(し)群はわが国第一の規模を誇るが、推測では中世を通じて約3000基の窯が築かれたとする。その製品は青森県から鹿児島県までほぼ全国を網羅して販売され、その影響下に宮城県の伊豆沼古窯から兵庫県の丹波(たんば)窯まで、多くの窯が誕生している。

 室町時代になると備前(びぜん)焼(岡山県)の勢いに押されて指導力が衰え、桃山時代の陶芸の全国的な隆盛期にあってもさしたる展開は示さなかったが、江戸初頭に窯は半地下式大窯(鉄砲窯)に変わって常滑市域に集中していき、江戸後期には連房式登窯(のぼりがま)も導入されて、この地で真焼(まやき)、赤物、朱泥(しゅでい)、瓦(かわら)などが生産された。真焼は登窯で焼かれる素焼の焼締め陶、赤物とは大窯で焼く低火度の素焼土器である。朱泥は鉄分の多い良質の粘土で、これを用いた文人趣味の急須(きゅうす)や煎茶(せんちゃ)茶碗をはじめ各種の什器(じゅうき)は、近世・近代の常滑陶の特産品となった。今日ではこれら各種の製品に加え、陶管、タイル、衛生陶器などの産出も多い。

[矢部良明]

『立原正秋・林屋晴三監修『探訪日本の陶芸10 常滑他』(1980・小学館)』

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事典 日本の地域ブランド・名産品 「常滑焼」の解説

常滑焼[陶磁]
とこなめやき

東海地方、愛知県の地域ブランド。
愛知県常滑市・大府市・東海市・知多市・半田市・東浦町・知多郡阿久比町・知多郡武豊町・知多郡美浜町・知多郡南知多町で成形及び焼成した陶磁製の浴槽・手洗い鉢・火鉢・照明器具・茶器・食器・花器・置物・香炉・植木鉢・甕・漬物甕・焼酎サーバー・風鈴・すりばち・ようじ入れ・ろうそく立て・貯金箱・傘立て。常滑焼の起源は平安末期で、1000年を越える歴史を持つ日本六古窯の一つ。平安時代には、大瓶・大壺などの日用雑貨、桃山時代には茶道具がつくられた。江戸時代には、この地で産出する鉄分の多い陶土の性質をいかした朱泥焼や白泥焼・火色焼がつくられ今日の基礎が築かれた。現在もなお、長年駆使された技術が受け継がれている。1976(昭和51)年6月、通商産業大臣(現・経済産業大臣)によって国の伝統的工芸品に指定。2007(平成19)年1月、特許庁の地域団体商標に登録された。商標登録番号は第5018657号。地域団体商標の権利者は、とこなめ焼協同組合。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常滑焼」の意味・わかりやすい解説

常滑焼
とこなめやき

愛知県常滑市付近で焼かれる陶磁器。「とこなべやき」ともいう。常滑市周辺の古窯址群からは平安・鎌倉時代の甕,皿,壺などが出土する。初期作は自然釉もしくは無釉で器胎が締っていない。高火度で焼締められた 炻器質の作品は桃山時代頃から作られた。釉 (うわぐすり) を本格的に用いるようになったのは寛保~宝暦期 (1741~64) 頃で,日常雑器のほか茶器類も生産した。江戸時代中期から明治には,上村白鴎,杉江寿門,松下三光,森下杢二郎,伊藤董斎らの名工が出,白泥焼,朱泥焼,黒泥焼,火色焼,火襷 (ひだすき) ,南蛮焼などの技法が考案され,茶器,酒器の小品を大量に生産した。現在は土管,タイル・モザイク,衛生陶器,植木鉢,朱泥急須などが多く生産されている。

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百科事典マイペディア 「常滑焼」の意味・わかりやすい解説

常滑焼【とこなめやき】

愛知県常滑市付近で生産される陶磁器。平安末期,猿投(さなげ)窯南部の灰釉陶窯の南下によって形成された中世最大の窯業地で,常滑市を中心に1200基以上の古窯地が知られる。鎌倉時代には素朴で力強い壺などの大型の生活用雑器を量産,江戸時代になり伊奈良三郎,上村白鴎など名工が出て茶陶,酒器などに技を振るった。現在は土管,タイルなども生産されている。

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