常勝寺(読み)じようしようじ

日本歴史地名大系 「常勝寺」の解説

常勝寺
じようしようじ

[現在地名]山南町谷川

山田やまだ川左岸にある天台宗寺院。山号は竹林山、本尊十一面観音。慶長一三年(一六〇八)の「当山縁起」によると、大宝年間(七〇一―七〇四)に法道の念持仏を本尊として開基したと伝える。永保年間(一〇八一―八四)伽藍焼失、のち槙尾山施福せふく(現大阪府和泉市)の浄意によって再興され、天正三年(一五七五)丹波に侵入した明智光秀軍の兵火で再び全山焼亡したという。境内には本堂・薬師堂・鐘撞堂仁王門、三十番神社・弁天社・護法社と鎮守社として創立された熊野神社があり、ほかに円覚坊・常光坊・吉祥坊・普門坊・正明坊・観智坊・松之坊があった。

常勝寺
じようしようじ

[現在地名]鴻巣市滝馬室

荒川東岸の低地原馬室はらまむろ地区境に近い滝馬室たきまむろ地区南端にある。龍蔵山密乗院と号し、真言宗智山派。本尊は大日如来。「風土記稿」には文永七年(一二七〇)と文明一八年(一四八六)古碑があると記される。草創の時期は不詳。天正一九年(一五九一)一一月徳川家康から武蔵国豊島としま谷中やなか(現東京都台東区)内で朱印寺領一五石を寄進された(「徳川家康朱印状写」当寺蔵)。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗連判留書案(醍醐寺文書)に「武州足立馬室」の常勝寺も名を連ねている。寛文六年(一六六六)には寺領を谷中村から旗本牧野領の馬室村内に替えられた(「寺社奉行連署達書」当寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報