市谷三軒屋敷(読み)いちがやさんげんやしき

日本歴史地名大系 「市谷三軒屋敷」の解説

市谷三軒屋敷
いちがやさんげんやしき

[現在地名]新宿区富久町とみひさちよう

自証じしよう院境内の南西向いに二ヵ所、同院に北接する駿河田中藩本多氏下屋敷の東向いに一ヵ所の計三ヵ所に分在した年貢町屋。かつては市谷村百姓地であったが、寛文一二年(一六七二)に百姓町屋を認可され、正徳三年(一七一三)町奉行支配となった。百姓町屋であった頃から三ヵ所は地組合であったことから、町奉行支配となった際に三軒屋敷を称したという。寛文一二年に検地を受けた際の反別は三ヵ所合せて一反余であった。四至と坪数は以下のとおり。田中藩下屋敷向いの町屋は南北間口二二間、東西裏行二三間、坪数は五〇六坪。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android