市川団十郎(7世)
いちかわだんじゅうろう[ななせい]
[生]寛政3(1791)
[没]安政6(1859)
歌舞伎俳優。屋号成田屋。5世市川団十郎の外孫6世の門弟。幕末期の代表的名優。小柄で目が大きく音声と弁舌にすぐれ,芸域は広い。歌舞伎十八番を制定。天保 13 (1842) 年,天保の改革の趣旨にそむいた奢侈を理由に江戸追放の刑に処せられ,嘉永2 (49) 年赦免されるまで大坂,京都などを巡業した。
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世界大百科事典(旧版)内の市川団十郎(7世)の言及
【歌舞伎】より
…〈事(こと)〉と呼んだ,演技・演出の類型が数多く形成された。江戸では,初世市川団十郎が創始したとされる[荒事](あらごと)が,武士階級を中心に形成された新興都市の荒々しい気風に合致して喜ばれ,非常な人気を獲得した。一方,京都では,初世坂田藤十郎を代表として,初期歌舞伎の傾城買の狂言の伝統を受け継ぐ[和事](わごと)の演技様式が確立する。…
【歌舞伎十八番】より
…7世[市川団十郎]が制定した18の演目をいう。7世団十郎は,1832年(天保3)3月に長男の海老蔵に8世団十郎を襲名させ,自身は海老蔵を名のると発表したときに配った刷り物に,初めて〈歌舞妓狂言組十八番〉と題して18種の名目を掲げた。…
【隅田川花御所染】より
…1814年(文化11)3月江戸市村座初演。おもな配役は,花子の前のちに清玄尼・召使お初を5世[岩井半四郎],松若・局岩藤・下部軍助を7世[市川団十郎],粂の平内・猿島惣太を5世松本幸四郎。[清玄桜姫物]の一つで,主役の清玄を尼にしたもの。…
【日本振袖始】より
…同年,すぐに歌舞伎でも上演された。1809年(文化6)6月江戸市村座で上演されたときには,7世[市川団十郎]が素戔嗚尊に扮し,市川流の白眼でにらみ,病人が治癒したという逸話が残されている。興行としては不評であった。…
【松羽目物】より
…しかし歌舞伎舞踊に大きな地位を占める〈石橋物(しやつきようもの)〉([石橋])や〈[道成寺物]〉など能取りの所作事も,能を直訳的に歌舞伎に移すのではなく,単に題名や詞章の一部を借りるのみで,自由な発想と[もどき]の趣向によって換骨奪胎し,みごとに歌舞伎化していた。7世[市川団十郎]は能の様式にあこがれ,その演出を積極的にとり入れようとした。その具体的なあらわれが《[勧進帳]》である。…
【水売】より
…振付初世[藤間勘十郎]。7世[市川団十郎]の近江八景八変化所作事《茲姿八景(またここにすがたのはつけい)》の一。江戸時代の夏,日照りが続いて水が乏しくなると,特定の井戸と契約している水屋が,1荷100文ぐらいで売りさばいたり,あるいは砂糖を入れた冷水や,白玉やところてん(心太)も売る風俗を舞踊化したもの。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」