市ノ本村(読み)いちのもとむら

日本歴史地名大系 「市ノ本村」の解説

市ノ本村
いちのもとむら

[現在地名]天理市櫟本いちのもと

いそかみ村北方に所在。竜田たつた(業平街道)かみツ道(上街道)の交差地に立地する。石上いそのかみ神宮に通ずるちまたにあり、「続日本紀」延暦八年(七八九)一〇月条の「石上衢」で、古代市の所在地であったか。あるいは「古事記」応神天皇段に「櫟井いちひい丸邇坂わにさの土を、初土は、膚赤らけみ」、「日本書紀」允恭天皇七年条に「倭の春日に到りて櫟井の上に食ふ」とある櫟井の地か。

天暦四年(九五〇)一一月の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)に「添上郡櫟本庄」とある。延久二年(一〇七〇)興福寺雑役免帳によると櫟本庄負田三二町四段二二〇歩のうちおさ寺田西さい金堂田・膳夫かしわで寺田・柿本かきのもと寺田・小一条こいちじよう院田・伝法でんぽう院田がみえる。小字長寺おさでらが現存し、膳夫は寛永二一年(一六四四)八月の治道宮御祭頭細男方文書に「カシアテ」「かし村」「カシワテ」と記し、現在は膳史かしに転じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報