工作機械工業(読み)こうさくきかいこうぎょう

改訂新版 世界大百科事典 「工作機械工業」の意味・わかりやすい解説

工作機械工業 (こうさくきかいこうぎょう)

〈機械をつくる機械(マザーマシン)〉を製造する工業をいう。工作機械は刃物(工具)を用いて金属素材を切削加工し,その方式は,被加工物の形状によって〈丸もの加工〉と〈角もの加工〉に大別できる。丸もの加工は,丸棒状の被加工物を加工するもので,おもに被加工物に回転運動を与え,それに対し直角に工具をあてて切削する。代表的なものに旋盤がある。角もの加工は,方形(立方体直方体)の被加工物を工具で切削するもので,工具を回転させるものとしてボール盤(穴あけ),中ぐり盤フライス盤などがあり,平行運動させるものに平削り盤がある。また工作機械は専用機(自動車向けが中心)と汎用(はんよう)機にも分けられる。ところで近代の産業発展は,金属素材を加工し,各種の機械部品ないし機械をつくり出すという工作機械の機能に支えられたといっても過言ではない。たとえば,J.ワット蒸気機関を発明したことがきっかけとなって,18世紀後半にイギリスでは蒸気動力が普及したが,この背景には金属加工技術の発達がある。ワットの協力者J.ウィルキンソンが1775年に改良中ぐり盤を開発したことで,鋳物製シリンダーの内径加工精度が飛躍的に高まり,蒸気もれが減少したため,ワット機関が実用化されたのである。

日本の工作機械生産は,1889年(明治22)末に池貝庄太郎池貝鉄工所の創設者)が9フィート旋盤を製作したことに始まる。しかし,明治から大正の初めにかけて,日本の工作機械工業は輸入品に押されてその発展テンポは遅々としていた。第1次大戦勃発(1914)直前の年間の国内工作機械生産額百数十万円に対し,輸入額は2倍に及んだ。ところが大戦が起こって工作機械の輸入は急速に減少する一方,需要が軍需でふくれ上がり,工作機械の国内生産は活発化した。こうして工作機械工業は大正中期までに飛躍的な発展を遂げたが,1921年(大正10)から22年のワシントン会議で海軍力が制限され,軍需を主体とした工作機械の国内需要は急速に冷え込み,工作機械メーカーは激しい不況に見舞われた。その後,第2次大戦期には外国製工作機械の輸入途絶と軍需で一時的ブームはあったが,敗戦により日本経済が壊滅的な打撃を受けたため,工作機械工業も低迷を続けた。このため,政府は一連の工作機械工業振興策をとった。53年に工作機械補助金制度が開設され,56年から機械工業振興臨時措置法(機振法)が施行された。さらに為替管理制度を背景に工作機械の輸入が規制された。なかでも機振法によって日本開発銀行や中小企業金融公庫等が行った財政資金融資の実績総額は730億円(1956-66)にのぼり,このうち工作機械工業向けは約1割の72億円となっている。長期低利な財政資金の融資を受けて,工作機械メーカーは設備の近代化を図り,工作機械生産額は56年の72億円から62年には1009億円に,70年には3123億円に達した。その間,工作機械の輸入は規制されていたが,外国メーカーとの技術提携は1963年から74年までに99件締結された。これを国別にみると,アメリカが44件でいちばん多く,続いて西ドイツ21件,フランス17件,スイス10件などとなっている。対象機種別では研削盤や旋盤などが多いが,全機種にわたり,なかでもNC(数値制御)工作機械5件,MC(マシニングセンター)8件の技術提携が注目される。工作機械のNC化は1950年代以降世界的趨勢で,日本でも一部の工作機械メーカーが50年代後半にその試作を完了していた。その後,65年以降NC工作機械が急速に普及しはじめると,外国メーカーとの技術提携によって生産を開始するメーカーが増加した。

 65年以降の工作機械工業の推移をふり返ると,(1)成長発展期(1965-73),(2)屈折期(1974-77),(3)回復期(1978-)の3期間に区分できる。まず成長発展期では,需要は,民間設備投資の盛上がりを原動力に日本経済が高成長を続けるなかで,急速に伸びてきた。この時期の需要形態は典型的な内需依存型であった(ただし,すでに1972年に輸出額が輸入額を上回った)。急速な需要増を背景に,メーカーは設備能力を増強し,雇用を増やし,技術提携を締結するなど積極的な経営を行った。しかし73年秋の石油危機に端を発した不況により,内需が急激に落ち込み,屈折期に突入した。この時期には,拡充された供給能力が一気に過剰化した。売上げが低落し,利益が急速に悪化して,雇用調整,資産売却など後向き不況対策を余儀なくされ,さらに企業のいくつかは倒産のやむなきに至った。この不況は76年ころから回復の兆しをみせはじめる。78年には円高の影響もあって海外からの受注が鈍化したものの,中小製造業を中心とした一般機械からの受注増により,本格的な回復期に入った。工作機械の国内需要は,コストダウンの要請にこたえるための省力化・合理化投資の盛上がりと,保有設備の老朽化に伴う更新投資の増加によって,NC工作機械を中心に急激に伸びた。これは,NC工作機械を使うと,機械加工の省力化・合理化が進んで生産性が向上し,多品種生産も行えるからである。

第1は,産業および企業の規模が小さいことである。96年の工作機械出荷額は8375億円で,機械工業出荷額に占める割合はわずか1%弱にすぎない。欧米各国でも,工作機械工業の規模は1~4%のウェイトを占める程度である。これは,工作機械が耐久消費財と異なり基礎的な資本財機械であり,その需要規模が限定されざるをえないことによる。日本最大の工作機械メーカー東芝機械の売上高でも1162億円(1997年3月期)にすぎない。これは,産業規模が小さい割には生産機種が多く,大量生産によるスケール・メリットが働かないためである。第2は,需要変動がきわめて激しいことである。工作機械の主たるユーザーは機械工業であり,機械工業の設備投資動向によって需要が左右される。つまり,景気の上昇期にはまずユーザー側の需要が拡大し,その後で工作機械への需要が急激に増える。逆に景気が下降期に入ると,工作機械需要が真っ先に,しかも大きく減退する。したがって工作機械メーカーは,不況期には深刻な経営不振に陥ることが少なくない。

 また最近の動向としては,工作機械の需要構造が,従来の内需依存型から内需・輸出依存型に変わったことがある。ちなみに工作機械の輸出比率は,1970年の7.7%から80年には39.5%,95年には68.4%に急上昇している。これは,日本のNC工作機械がとくに欧米先進国のニーズに合致し大幅に伸びたからである。アメリカはNC工作機械の先進国であるが,大型機種が中心であり,日本が得意とする中・小型機種とは比較的競合しにくい。またヨーロッパの工作機械メーカーは生産機種のNC化に遅れ気味である。さらに近年はNC化の一層の進展に加えて,従来の切削加工とはまったく異なったレーザー加工機や電算制御の機械が登場した。工作機械メーカーも,みずからエレクトロニクス技術を吸収する一方で,エレクトロニクス・メーカーとの提携を強化する必要がおこっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「工作機械工業」の意味・わかりやすい解説

工作機械工業
こうさくきかいこうぎょう

工作機械(機械を製作する機械)を製造する工業。工作機械は、鉄などの金属素材から切削、研削等により不要部分を除去、加工し、工作物を製作する機械である。具体的には、旋盤、ボール盤、中ぐり盤、フライス盤、研削盤、歯車機械、放電加工機、NC(numerical control=数値制御)工作機械(数値制御工作機械)等がある。また、金属に限らず、セラミックス、ガラス、木材といった非金属を加工する類似の工作機械も存在する。これら工作機械の発達は、工作物の形状や精度を規定し、さらに、一国の機械工業の技術水準に影響を与えることになる。J・ワットの蒸気機関の発明は、1775年、J・ウィルキンソンの開発した改良中ぐり盤を使用したシリンダーの精密加工により実現している。そして、フライス盤、タレット旋盤等の工作機械の発達は、互換可能な部品による銃の大量生産を可能にした。20世紀に入ってからの自動車の大量生産は、一段と精度の高いトランスファーマシン等の新しい工作機械の出現に依存していた。高速化、専用機化、超硬工具の発明等により、切削工具の改良が進んだ結果、工作機械が進歩・発展し、これが他産業の変革の基盤となってきた。

[大西勝明 2017年3月21日]

日本の工作機械工業の歴史

日本では、1889年(明治22)に池貝鉄工(のちの池貝)の前身である池貝工場が設立され、工作機械の生産が開始されている。だが、国産の工作機械が他産業と密接に連動して発展したわけではなかった。兵器生産、鉄道、紡績機械と関連した少量の工作機械の生産は、外国からの導入技術に依存するものであった。第一次世界大戦中や第二次世界大戦時には輸入がとだえ、一時国産工作機械の生産が急上昇しているが、兵器生産に傾斜し、また技術面で外国製に劣っていたことから、日本の工作機械工業の戦前の産業基盤は脆弱(ぜいじゃく)であった。

 日本の工作機械工業は第二次世界大戦後に本格的な発展を遂げている。とくに高度成長期における時計、カメラ、ミシンに続き、家電製品、自動車といった量産型機械工業の展開が大きな市場となり、工作機械工業は目覚ましく躍進した。さらに、1970年(昭和45)には、工作機械工業が一つの画期を迎えている。このころまで、日本のNC工作機械の生産は、海外からの技術導入によって支えられていた。しかし、1970年以降、日本の工作機械工業は、生産の過半を、複数の工具を装備したマシニングセンターを含むNC工作機械にシフトさせながら輸出を拡大し、低成長下でも持続的に成長することになる。その後1982年以降、2010年代に中国に抜かれるまで日本の工作機械の生産額は世界でトップシェアの30%以上を占めていた。高精度化、主軸速度や送り速度等の高速化、効率化を課題とした機種を開発しており、また、NC化率は、80%を上回っていた。ただ、1990年代より低迷し、主力企業の倒産を伴う抜本的な産業再編成を余儀なくされ、2000年(平成12)までに、従業員2万人以上、事業所数の50%近くを消失している。2014年の事業所数は616、従業者数は4万8795人、製造品出荷額は約1兆9212億円(いずれも『工業統計表』金属工作機械製造業・従業者4人以上の事業所の数値)で、リーマン・ショック後は持ち直している。2015年の輸出額は約9321億円(『貿易統計』工作機械)で、北米から中国、アジアに重点を移行しながら、2011年以降、約7000億円から9000億円の輸出額を維持している。一方、特殊な工作機械が輸入されている。

[大西勝明 2017年3月21日]

近年の動向

2010年代、工作機械工業は機械の自動化と新興国の工業化に対応した海外生産の拡大等、国際的な規模での生産体制の再編成を進めており、そのことは次のような画期的な事態と連動している。とくに、アメリカでの3Dプリンターの出現とドイツが主導する第四次産業革命とされるインダストリー4.0が、工作機械工業に大きな影響を与えそうである。

 3Dプリンターは、ポリマー材や微細な金属粉に1つないし複数のレーザー光線や電子ビームを照射して多数の層を重ね、積層造形し、設計図通りの形状を造りあげる、製作時間とコスト面で画期的な機械である。デジタル化により切削、研削をせずに設計図通りの形状を製作できる3Dプリンターの登場は工作機械市場を変化させている。

 他方、ドイツのインダストリー4.0は、高次元の自動化によるものづくりを目ざすものである。これに関連して日本でも、工作機械の数値制御装置(NC)が人工知能(AI)を搭載し、IoT(モノのインターネット)化し、高精度化や高速度化等、従来のNC化の域を超えた製作を実現している。つまり、工作機械の稼働状況をIoTを活用して遠隔管理したり、製作状態をカメラ等により常時監視するほか、アルゴリズム(計算手法)に基づき、主軸や軸受けをはじめ製作に関するデータを収集・蓄積・分析し、自ら異常についての判断を下す学習能力を備えた工作機械が誕生している。これにより、稼働状態の診断、工具の欠損の予知、部品の迅速な交換等、適切な対処を容易にし、保守業務の効率化と故障などによる生産停止時間の削減を可能としている。さらに、加工プロセスを担う機械間の連携の高密度化、一連の製造工程の最適化が提示され、工作機械の稼働率が上昇傾向にある。工作機械のデジタル化が、工作機械そのものとその作業環境や市場動向をも大きく変化させつつある。

[大西勝明 2017年3月21日]

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百科事典マイペディア 「工作機械工業」の意味・わかりやすい解説

工作機械工業【こうさくきかいこうぎょう】

工作機械は機械を作る機械ともいわれ,その工作精度のいかんが各種産業機械などの品質・性能を決定するため,工作機械工業には高い技術水準が要求される。同時にその成立,発展には,市場として機械工業一般がかなり発達していることが前提となる。このような技術的・経済的理由から一国の工作機械工業の発展段階はその国の産業の成熟度を示すものとされる。第2次大戦前,日本の工作機械工業は質量共に未発達であったが,戦後の急激な重化学工業化に促されて,1967年には約300社が1200億円の生産をあげ,内約180億円を輸出するまでに成長した。1970年代以降,技術革新のなかで数値制御工作機械(NC)の比重が増大,企業規模も拡大して,1987年には生産台数は12万5536台,生産金額6888億円をあげた。その後も自動車・電気機器産業の内需を中心とする盛んな設備投資により生産額が急増し,1997年には1兆171億円を記録。なお,NC化率(生産額全体に占める数値制御工作機械の割合)も1997年には約83%にまで上昇した。

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