日本大百科全書(ニッポニカ) 「巡洋艦」の意味・わかりやすい解説
巡洋艦
じゅんようかん
cruiser
軍艦の一種。
第二次世界大戦までと、その後とで巡洋艦の概念はかなり違っている。第二次世界大戦までの巡洋艦は、排水量と砲力が戦艦と駆逐艦の間にあり、速力と航続力が大きく、優れた航洋性を有する水上戦闘艦艇をいった。艦隊前面の偵察・警戒、索敵、主力部隊の直衛、通商破壊、陸上砲撃、上陸作戦支援、海外警備など、戦時、平時を通じてあらゆる任務に用いられた。
現代の巡洋艦は、有力な艦隊防空能力、水上打撃力、対潜能力、陸上攻撃能力、指揮機能などを一つ、またはいくつか備え、航空母艦と行動をともにしてその直衛にあたるか、あるいは自ら水上部隊の中核として行動しうる能力をもち、駆逐艦より一般的に大きく、おおむね基準排水量5000トン以上、航洋力、航続力に優れ、30ノット以上の高速を有する水上戦闘艦艇をいう。
[阿部安雄]
沿革
帆船時代には、戦列艦より軽快で艦隊の耳目(じもく)・手足として敵艦隊の捜索・態勢観測およびその報告、あるいは単独索敵、偵察、海上交通保護、護衛、通商破壊などの任務にあたるフリゲート、コルベットなどを巡洋艦(クルーザー)と総称していた。
[阿部安雄]
第一次世界大戦直前まで
19世紀中ごろ、蒸気機関および鉄製さらには鋼製船体の採用により、フリゲート、コルベットなどは、砲と魚雷を主兵装とする優速軽快な戦闘艦艇に発達し、これらも巡洋艦と呼称され、1880年代に至り軍艦の艦種名称として定着した。
初期の巡洋艦は、5000トン以上の大型艦とそれ以下の中・小型艦に分かれて発達した。大型装甲の艦は1890年代に強固な舷側甲鈑(げんそくこうはん)と砲塔砲を備えた装甲巡洋艦armored cruiserに発展した。この艦種は、排水量が7000~1万5000トンにもなり、そのなかには、航続力と速力を若干減じ、砲力、防御力を強化して戦艦を補助し主力艦との戦闘に用いられるものも出現した。日露戦争の日本艦はその典型で、戦後には戦艦と砲力同等、約2ノット優速の大型装甲巡洋艦(筑波(つくば)型、伊吹(いぶき)型)が建造された。1907年、砲力はド(弩)級戦艦と同等、速力は蒸気タービン機関の採用により26ノットの巡洋戦艦がイギリスに出現したため、装甲巡洋艦はその存在価値を失った。
中・小型の艦は最初無防備だったが、1880年代に、中甲板に薄い装甲を施した防護巡洋艦protected cruiserが出現してこれにかわった。1882年イギリスで完成したチリのエスメラルダEsmeralda(2960トン)が最初の本格的防護巡洋艦といわれ、以後この艦種は各国で建造され、1万トンを超す大型艦も現れた。
1900年代初頭には、高速かつきわめて軽防御の軽巡洋艦light cruiserが出現して防護巡洋艦にかわり、この艦種は各国で著しい発展を遂げた。イギリスでは第一次世界大戦直前に、防護巡洋艦にかわる5000トン以上の中型艦と、より軽快高速力で水雷戦隊旗艦や敵水雷部隊の撃攘(げきじょう)にあたる3000トン級の小型艦とに分かれ、前者は大戦末期に1万トン弱、19センチ砲装備の艦まで出現、後の重巡洋艦建造の端緒となった。後者は大戦初期に飛躍的進歩を遂げ、大戦直後には15.2センチ砲装備、7500トン級のエメラルド級Emerald Classに発達して近代巡洋艦の基礎を築いた。大戦末期から、巡洋艦は索敵用飛行機と高角砲を装備するようになった。
[阿部安雄]
第二次世界大戦終了まで
ワシントン海軍軍縮条約(1922)で巡洋艦の排水量と備砲の大きさが制限され、その上限である1万トン、20.3センチ(8インチ)砲搭載艦(条約型巡洋艦)が、その後各国で建造された。1926年(大正15)完成の古鷹(ふるたか)は7100トン、世界最初の20センチ砲搭載軽巡洋艦で、その優秀性は世界の注目を集め、以後日本は巡洋艦建造技術で列強をリードした。続くロンドン海軍軍縮条約(1930)で備砲により巡洋艦が区別され、15.5センチ(6.1インチ)~20.3センチ砲の装備艦を甲級または重巡洋艦heavy cruiser、15.2センチメートル以下の砲装備艦を乙級または軽巡洋艦と規定し、日本、アメリカ、イギリス3か国の保有量を定めた。重・軽巡洋艦はその後それぞれに発達し、軍縮条約廃棄後は、対空兵装および防御力強化、主砲の性能向上などで排水量を増し、第二次世界大戦末期には1万4000~1万7000トンに達し、技術、性能両面で両艦種の相違はなくなった。ほかに機雷敷設能力をもつ敷設巡洋艦、候補生の遠洋航海に用いる練習巡洋艦を建造した国もある。第二次世界大戦直前および戦中には、対空・対水上両用砲を搭載して艦隊・船団防空にあたる防空巡洋艦(イギリス、アメリカ)、重巡洋艦撃滅・中型高速戦艦対抗用の30.5センチ(12インチ)砲搭載の3万トン級大型巡洋艦(アメリカ)、潜水戦隊旗艦用巡洋艦(日本)など、新用途の艦も出現した。
[阿部安雄]
現代の巡洋艦
第二次世界大戦後、飛行機、ミサイル、潜水艦、電子兵器、核兵器などの発達により、砲と魚雷を主兵装とする巡洋艦は存在価値を失った。かわって、現代の海上戦闘に対応して対空・対艦・対地ミサイル、対潜装備、電子戦装備をもった艦が建造されるようになり、また指揮、通信、電子装置を装備の主体とし、艦隊などの総合指揮や、有事に国家最高指導者を乗せ海上より戦略指揮を行う指揮巡洋艦が、新造あるいは改造により出現した。1953年完成したアメリカのノーサンプトンNorthampton(1万7200トン)は、この艦種の最初のものである。第二次世界大戦直後は、防空能力が重視され、若干の戦時未成艦がこれに適するように改造され、ついで対空ミサイルが実用化するや既成艦、新造艦に装備された。アメリカは1961年以降、空母機動部隊の護衛を主任務として、対空ミサイル装備を主とし対潜装備を従とした、原子力推進艦を含む5700~1万4700トンのミサイル巡洋艦を多数建造した。最新のタイコンデロガ級Ticonderoga Class(第1艦は1983年完成)はイージス防空装置の装備により高い対空戦闘力をもつイージス艦で、1994年まで27隻と多数が建造され、その後一部の艦には弾道ミサイル迎撃能力が付された。当初から巡洋艦として建造されたロング・ビーチLong Beach以外は1万トン以下で、最初ミサイル・フリゲートあるいはミサイル駆逐艦とされたが、のちに巡洋艦に変更された。1961年完成のロング・ビーチ(1万4200トン)は、原子力推進を採用した最初の水上艦で、原子炉2基により8万馬力、30ノットの能力を有し、全速力で10万海里、20ノットで36万海里もの長大な航続力を得た。その後は、原子炉の小型化が図られ、原子力空母の護衛用として7600~1万トンの艦が建造されている。
ソ連は、対艦ミサイルを開発し、アメリカの空母機動部隊攻撃を主目的にこれを装備した艦を1962年に完成、以後順次改良型が出現した。これらは4500~1万5000トン、対艦ミサイル発射機8基のほか、対空、対潜兵装を備え、さらには主兵装の対艦ミサイルも対潜ミサイルにかえて対潜任務重視型のものも建造された。1980年に至り、対艦ミサイル発射機20基を主体とする有力な各種装備をもつ汎用(はんよう)戦闘任務の大型巡洋艦キーロフ級Kirov Class(1万9000トン)が出現した。アメリカ艦を除く唯一の原子力推進艦で、巡航用に補助ボイラーを併載したCONOS(Combine Nuclear or Steam Turbine)推進方式を採用している。
最近の艦は、対潜ヘリコプターを1~3機ほど搭載するが、さらに飛行甲板や格納庫を設け、相当の機数を搭載し、対潜、揚陸作戦などにあたるヘリコプター巡洋艦が、1960年代の中ごろからイタリア、フランス、旧ソ連などで出現している。原子力推進艦以外の巡洋艦の推進機関には、長らく蒸気タービンが使用されてきたが、1980年ごろからガスタービンが広く用いられるようになった。2005年ごろまでにほとんどの原子力推進艦を含む多くの巡洋艦が老朽化、性能の陳腐化、高額な維持経費などの理由で除籍されており、2010年時点で大型原子力巡洋艦はロシアに1隻、ミサイル巡洋艦はアメリカに1級(イージス艦)22隻、ロシアに2級4隻、ペルーに1隻、そしてヘリコプター巡洋艦がフランスに1隻存在しているだけである。
[阿部安雄]
『堀元美・江畑謙介著『新・現代の軍艦』(1987・原書房)』▽『『福井静夫著作集4 日本巡洋艦物語』(2008・光人社)』▽『『福井静夫著作集7 世界巡洋艦物語』(2009・光人社)』▽『『世界の艦船増刊第89集 近代巡洋艦』(2010・海人社)』▽『Stephen SaundersJane's Fighting Ships 2010-2011(2010, Jane's Information Group)』