川端康成(年譜)(読み)かわばたやすなりねんぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川端康成(年譜)」の意味・わかりやすい解説

川端康成(年譜)
かわばたやすなりねんぷ

1899(明治32) 6月14日大阪市北区此花町で誕生
1914(大正3) 5月祖父三八郎死去、孤児となる。このころの日記が『十六歳の日記』として、1925年発表される
1918(大正7) 第一高等学校2年。この秋、伊豆に旅行、旅芸人と道連れになる
1920(大正9) 7月一高卒業。9月東京帝国大学文学部英文科入学(1922年国文科転科)
1921(大正10) 2月第六次『新思潮発刊。4月『招魂祭一景』発表。10月16歳の伊藤初代と婚約、1か月後破約され、この事件をもとに『南方の火』(1923年)、『海の火祭』(1927年)などが書かれる
1924(大正13) 3月東大国文科卒業。10月横光利一、片岡鉄兵らと『文芸時代創刊、新感覚派と称せられる
1926(大正15) 1月『伊豆の踊子』発表(~2月)。6月最初の短編集『感情装飾』刊行。この年秀子夫人との結婚生活始まる
1929(昭和4) 10月浅草にカジノ・フオーリー創立され、その文芸部員や踊り子らと知る。12月『浅草紅団』発表(~1930年)
1931(昭和6) 1月『水晶幻想』発表
1932(昭和7) 2月『抒情歌』発表
1933(昭和8) 7月『禽獣』発表。10月武田麟太郎、小林秀雄らと『文学界』創刊
1935(昭和10) 1月『夕景色の鏡』を皮切りに『雪国』の断続発表始まる
1942(昭和17) 8月名人』発表(改稿『名人』は1951~1954年)
1945(昭和20) 久米正雄中山義秀、高見順らと出版社鎌倉文庫を創設
1948(昭和23) 6月日本ペンクラブ会長就任。12月完結版『雪国』刊行
1949(昭和24) 5月『千羽鶴』(~1951年)、9月『山の音』(~1954年)発表
1953(昭和28) 11月芸術院会員となる
1954(昭和29) 1月『みづうみ』発表(~12月)
1957(昭和32) 9月東京での国際ペンクラブ大会開催に会長として奔走する
1960(昭和35) 1月『眠れる美女』発表(~1961年)
1961(昭和36) 10月『古都』発表(~1962年)。11月文化勲章を受章
1963(昭和38) 8月『片腕』発表(~1964年)
1968(昭和43) 12月ノーベル文学賞を受賞
1972(昭和47) 4月16日神奈川県逗子の仕事部屋でガス自殺。鎌倉霊園に葬られる

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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