川島芳子(読み)カワシマヨシコ

デジタル大辞泉 「川島芳子」の意味・読み・例文・類語

かわしま‐よしこ〔かはしま‐〕【川島芳子】

[1907~1948]満蒙の独立運動家。清朝王族の粛親王の第14王女。大正2年(1913)、川島浪速なにわ養女となり来日。昭和初め、清朝の再興を画策し上海に渡り、日本軍の工作員として諜報活動に協力。日本の敗戦後、中国で逮捕され国賊として銃殺された。本名愛新覚羅顕㺭あいしんかくらけんし、中国名は金璧輝東洋マタ=ハリ男装の麗人とも呼ばれた。

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百科事典マイペディア 「川島芳子」の意味・わかりやすい解説

川島芳子【かわしまよしこ】

日中戦争下のスパイ。中国清朝末の皇族粛(しゅく)親王善耆(ぜんき)の第14王女。金璧輝(きんへきき)とも名乗る。1914年大陸浪人川島浪速(なにわ)の養女となり,日本で教育を受ける。1927年蒙古の将軍パプジエルチャップの次男と結婚,1年余で離婚。離婚後は男装を通し世間の注目を浴びた。清朝の再興を期し,陸軍特務機関の田中隆吉(たかよし)のもとで諜報活動に従事。1931年満州事変が起こると,元宣統帝溥儀(ふぎ)の妃婉容(えんよう)を天津から大連に脱出させ,翌年上海事変勃発の契機となる日本人僧侶襲撃事件を仕組むなど,その工作活動から〈東洋のマタ・ハリ〉と呼ばれた。1948年漢奸として中国で処刑

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島芳子」の解説

川島芳子 かわしま-よしこ

1907-1948 昭和時代前期の満蒙独立運動家。
光緒33年4月12日生まれ。粛親王善耆(ぜんき)の第14王女。川島浪速(なにわ)の養女となり,大正2年(1913)来日。昭和のはじめ,清(しん)朝の再興を期して上海にわたる。以後,日本軍に協力して情報活動に従事し,男装の麗人とも東洋のマタハリともいわれた。日本敗戦後,国民政府軍に捕らえられ,昭和23年3月25日銃殺された。42歳。北京出身。松本高女卒。中国名は愛新覚羅顕〓(“王へん”に「子」)(あいしんかくら-けんし)。別名に金璧輝。
格言など】家あれども帰るを得ず,涙あれども泣く所を得ず(遺書)

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