川島忠之助(読み)かわしまちゅうのすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川島忠之助」の意味・わかりやすい解説

川島忠之助
かわしまちゅうのすけ
(1853―1938)

翻訳家、銀行家江戸に幕府役人の子として生まれる。幕府瓦解(がかい)後、横須賀製鉄所製図見習工となりフランス語を修め、富岡製糸場通訳横浜和蘭(オランダ)八番館番頭となる。蚕糸売込みの使節の通訳として渡欧後、翻訳に着手し、1878年(明治11)6月、本邦初のフランス文学原典訳、ジュール・ベルヌの『新説八十日間世界一周』前編を自費出版し、ベルヌ・ブームを導く。80年6月後編刊行。82年9月ポール・ベルニエ『虚無党退治奇談』翻訳。この年横浜正金銀行に入り、のち重役となる。墓所は東京・青山霊園

富田 仁]

『柳田泉著『明治初期翻訳文学の研究』(1959・春秋社)』

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百科事典マイペディア 「川島忠之助」の意味・わかりやすい解説

川島忠之助【かわしまちゅうのすけ】

翻訳家,銀行家。江戸生れ。製図工見習いとして,横須賀製鉄所(のちの海軍造船所)に入り,フランス語を修める。国内外で通訳などを務めた後,横浜正金銀行に入り,以後銀行家として活躍。この間ジュール・ベルヌの《新説 八十日間世界一周》をフランス語原典から翻訳し(前編1878年,後編1880年),その後のベルヌ・ブームに先鞭を付けた。他にベルニーの《虚無党退治奇談》(1882年)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島忠之助」の解説

川島忠之助 かわしま-ちゅうのすけ

1853-1938 明治時代の翻訳家,銀行家。
嘉永(かえい)6年5月3日生まれ。川島順平の父。横須賀製鉄所にはいり,フランス語と英語をまなぶ。富岡製糸場の通訳,横浜の蘭八番館番頭などをつとめる。明治11年(1878)日本初のフランス小説の翻訳のベルヌ「新説八十日間世界一周」を出版。15年横浜正金銀行にはいり,のち重役となった。昭和13年7月14日死去。86歳。江戸出身。

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